2015年10月03日

ON/OFF

何か一つのことをやり始めると熱中出来る、熱中してしまって周りが見えなくなるのは私の長所とも短所ともとれる特徴である。短期間で集中して何かの成果を求められる時には、この特徴がプラスに働くことがあるのだが、それ以外の場合ではいかんせん視野が狭くなるのは考えものである。アフリカの現場にいても、「あ、いま熱中しすぎてしまっているな」と感じることがしばしばある。トウモロコシの粒に混ざった豆を取り除く作業、アブラヤシの繊維粕から種を分ける作業、畑での雑草刈り、またノートに向かって見たもの聞いたものや考えを整理している時など、作業にばかり集中して周りの様子を見ていないことが多い。

一方の現地の人たちはどうかというと、作業をしながら、もしくは作業の手を休めて周りの人と話したり、他のことに注意を払ったりすることが多い。私は、現地の人が作業に熱中しすぎて周りが見えなくなる姿を見たことがない。常に肩の力が抜けていて、雑談などをよく挟みながら作業をしている。言うなれば、作業と雑談(休みの時間)とのオン・オフの切り替えがない。常にオンであるし、常にオフでもあるとも言える。

このことは村に限らない。街でも、物売りの女性が、売り場近くで家庭の洗濯をしている姿は良く見るし、寝ているのか起きているのかわからない状態で店番をしている姿も見る。市役所などの行政機関も同様である。オンとオフの狭間で、オンに近づいたり、オフに近づいたりと程度の差はあるが、日本で見るような完全な「仕事モード」は、ここではほとんど見られない。

今年3月、所用で日本に一時帰国したが、そこで感じたのは、仕事が、それを行う個人から切り離されているということである。「仕事モード」で働く彼らは、その個人の性格や価値観、その日の気分からは独立した仕事人となり、働く。その人のプライベート領域と仕事とが切り離されているのだ。マニュアル的とも言えるし、そうであるが故に、その個人は他の個人に取って代わることができる。(この特徴は、特に関東圏に顕著であった。大阪では、仕事と個人との溝は小さいような印象を受けた。)

この点、現地社会ではそのような仕事とそれを行う個人の分離はまずありえず、任地で見るどの人も、働く人とその人自体とは全くの同一人物で、働き方もその日の体調や気分、その人の性格などの影響をかなり強く受けている。仕事を、それを行う個人から切り離すことは考えられない。

彼らは決して意識的に切り替えを曖昧にしているわけではないが、その人個人の生活と作業、仕事との切り替えがはっきりしていないようなやり方は、体力と精神を正常に保つ、現地人なりの無意識のバランス感覚なのだろう。レストランに入った時に、あからさまに機嫌が悪い店員に当たると、「もっとちゃんと働けよ!」と思うこともあるが、それはそれで現地人なりのバランス感覚とも言え、日本では過労死や労働から来る精神的ストレスによって心身ともに疲れている人間が少なからずいることを思うと、この現地人の働き方はたしかに目の前の客にとってはあまり心地の良いものでなくても、働いている人を含めた社会全体の人々の精神衛生を思うとあまり批判することも出来ないのかもしれない。


オンとオフの切り替えがはっきりしていないと言う場合、イベントの開始時間を考えてみるのも良い。先日、大物政治家が登場するイベントが任地の田舎であった際、14時開始のイベントだが、一向に始まらず、結局18時ごろ開始し、18:30に終了した。この例は決して極端な例ではなく、現地社会では、前もって決めた時間通りにことが運んでいるのを見たことがない。イベントが予定時間にオンにならないのである。かといって、他のことが出来るわけでもないからオフでもない。このオンでもオフでもない時間は、一面では非効率に映るだろうが、他面では、そのおかげで人々は「何もしない」時間をきちんと確保できているのではないだろうか。オンでもない、オフでもない、なんでもない、「何もしない」時間である。

こうしたイベント開始までの「何もしない」時間に訪れるほほえましい瞬間がある。何もせずぼうっと待っていると、大音量で音楽を流すスピーカーの前に引き寄せられるように近づいてくる老人がいる。大抵は身なりが汚らしく、少しお酒が入った状態でやってきて、大音量の音楽のリズムに合わせて身体を動かし、ステップを踏む。彼は人目を一切気にしていない。恥ずかしさもなければ、逆に魅せてやろうという気持ちすらない。ただ、そこに音楽が流れていて身体が反応したから踊っているのである。意識的に「踊ろう」と気持ちを切り替えて行っているのではない。彼が行っている行為を言葉で表わすなら「踊り」ということになろうが、彼自身にはもはやその意識すらなく、身体が勝手に反応してしまっているだけに過ぎない。彼の「踊り」が目に入っているであろう、空き時間をもて余して座っているだけの人々も彼に関心をよせないし、かといって迷惑がるわけでもない。そこには、ただ音楽があって、踊る人がいて、関心なさげに座っている人がいるだけである。

日本では「踊る」という行為は何か特別なものとして捉えられがちなように思われ、当たり前のように踊るということが少ないが、現地で「踊り」はもっと身近なものであり、日常生活と踊りとの境界、切り替えが非常に曖昧である。
ふと目をあげると、スピーカーの近くや少し離れたところで、まだ年端もいかない子どもたちもリズムに合わせて身体を動かしている。大人が当たり前のように踊っているのを見ているから、子どもも当たり前のように踊る。老人の場合と同じように「踊っている」という意識すらないような、自然と筋肉が動いてしまっているような動きである。私は、「踊り」として意識された踊りを見るのも好きだが、「踊り」としての意識が出てくる前に音楽に合わせて身体が動き出してしまい、結果的に「踊り」と形容すべき動きになっている踊りを見ると「いいなぁ」と思い、気持ちがほっこりする。日常生活との切り替えが曖昧な、意識される前に身体が動き出す「踊り」は、「何もしない」時間が豊富な切り替えが曖昧な社会の産物のように思える。


他方、先進合理社会では、何かすることに関しては事欠かない。常に何かしていることが出来るし、そういう環境にあって人々は常に何かをしていないといけないという強迫観念すら抱いているような印象を受ける。先のイベント開始を待たされるのが、先進合理国の人々であったなら、すぐにスマホを取りだしてゲームをしたり、友人とラインをしたり、なにかしらのことをするだろう。「ぼけっとして何もしない」をすることが非常に苦手な人たちなのである。(日本に一時帰国した際、電車に乗っているほぼ全員が携帯電話、スマホに向かってなにかしらの作業をしていたのには驚きを禁じ得なかった。老若男女問わず、である。ある種の、とても静かな、狂気のように思えた。)

しかし、なぜ何もしないでいられないのだろうか?その理由の一つは、おそらく「何もしない」を埋めるための物質が溢れていることである。最近のスマホは、アプリがたくさん入っているらしく、それ一台でありとあらゆることができてしまうし、それ以外にもテレビがあり、新聞があり、ゲームがあり、本があり、ギターやピアノなどの楽器があり、パソコンがあり、とにかく「何もしない」を埋めるための物質で社会が埋まっている。そして、それらの物質へのアクセスが容易であるためすぐに利用できる。

また、「何もしない」を難しくしている―常に何かをしていることができる―他の要因は、「物事が前もってきめられた時間通りに進んでいくこと」、すなわち「イベントの切り替えが明確であること」ではないだろうか。あるイベントを行うにしても、だいたいが時間通りの開催であるし、約束事は「時間通り」が基本である。別の見方をすれば、前もって計画を立てやすい、とも言える。だいたい、何時に始まって何時に終わるかが判っているから、イベントとイベントの間を詰めたとしてもどれもこなせてしまう。場所を移動するのでも、電車等の出発時刻から所要時間、到着時刻までほぼ寸分違わずに把握できるし、それを正確に把握するためのツールもある。

(この合理的社会にあって、人は時間を管理していると思っているが、管理されているのはむしろ人間の方なのではないだろうか。前もって決めたシステムや計画に合わせて人間が動いている、いや、動かされているのではないか。目まぐるしいシステムのスピード感に、自分の内なる心のペースはついていくことが出来ているだろうか?自分自身のペースと外界のペースとに大きすぎるギャップはないだろうか?そうしたスピード感をもってなされる一つ一つの行為や出会い、会話は、軽薄なものになってはいないだろうか?)

現地社会では、人間の動きに合わせて人間が動いていて、システムや計画といったものは参考程度の副次的なものに過ぎない。そして、人間の動きなんて、その日の出来事や突然の出会い、他のイベントとの兼ね合いから前もって予想することが出来ないし、各人がそのような把握の難しい動きをしているため、集団で何かしようとする場合、時間を事前に把握することは困難である。何時に始まるかも、どれくらい続くのかも、そもそもちゃんとイベントが行われるのかもわからないから、当然、計画はまともには立てられない。一日に予定を3個も4個も詰めることはできない。そして、このような理由から、現地では、一日の中に隙間がたくさんあるのである。そして、この、オンでもない、オフでもない、「何もしない」隙間の時間があるために、ここの人たちは日々を焦りすぎることなく、無理のないペースで歩んでいるのだと思う。心の時間と外の時間とのギャップが比較的少ないように思うのである。目に見える成果や数字、効果効率を求める立場からは変えなければならぬとされるだろうこの社会のこうした特徴も、私の今の立場から見ると、大切にして無くさないようにしないといけない事柄のように思われてならない。
posted by 木村だっくす at 22:56| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月03日

ジグソーパズル

現場に入って活動をしていると、完成図の用意されていない「縁のないジグソーパズル」をしているような感覚を抱くことがある。

現場では、現場の成り立ち方や地域の様子、習慣や文化、歴史などをこちらの分かりやすい形で一挙に教えてくれるような人はおらず、すべて自分で、自分の足で集めていかなければならない。私が常日頃現場で行っている作業は、様々なところに足を運び、様々な人と会話し、様々なことを経験していく中で少しずつ情報を集め、地域の全体像を把握して行くことである。情報は、まるでジグソーパズルのピースのようで、それ一つでは何を意味しているのかわからないことが多い。そのピース(情報)を手にしても、「へー」とか「そうなのか」くらいにしか思わない。しかし、ピースを集め、集めたピースをつなげていくと少しずつ絵が見えてくることがある。この「絵が見える瞬間」が私はたまらなく好きで、絵が見えた時には名状しがたい幸福感に包まれる。「そういうことか!」となるこの瞬間のために村で日々生活していると言っても過言ではない。

一見すると、ピースのひとつひとつは、とるに足らないものに映る場合がある。しかし、いやむしろ、こういう場合にこそ、ピースをはめていく私自身の力量が問われていると思わずにはいられない。「取るに足らない」情報に接したとき、そのピースをどう絵にしていくかは、地域に入っていく者の手腕、切り口が問われているのではないか。一見してたいしたことのないことであっても、見方を変えると興味深い事実に変わることは往々にしてあることだ。

好奇心に際限がないのは人間の(私の?)性なのか、一カ所絵が見えてくると、その隣がどういう絵なのか気になってくる。この絵の横には一体どんな絵が描かれているのだろうか?今度はその絵を明らかにするためのピース集めを始める。ピースが少しずつ集まってくると、「もしかしてこういうことかな?」という仮説が生れる。そして、さらにピースを集めて検証していく。検証の結果、仮説が全く正しくなかったり、まだまだ調べていかないとわからない場合があったり、と中々スムーズには絵は見えてこないが、この失敗もまた私にとっては楽しみに変わる。私の仮説の多くは間違っていることも多く、逆にその分、挑戦しがいがあると思っている。

正しくなかった仮説の例は、村の女性達の出身地に関して情報を集めた時の話。現地社会は男系の血縁家族が中心となるから、男性らの移動に関しては比較的把握が容易だった。例えば、お世話になっている集落は、元々はナイジェリアのOyoが起源で、その後ポベに移り住んだあとに約80~90年前に現在の村へ移動してきている。村長家の集落は、ほぼ同じ時期にサケテ中心部のDéguéからやってきた。しかし、女性らは常に外から嫁いでくるので、みな出身地もばらばらであるし、どこからやってきているのか見当もつかなかった。そこで女性達に出身地を聞いていくと、なんとなく年配の女性は近隣の村出身、若い女性は少し離れた村出身の場合が多いように思われた。そこで、仮説として、「年配の女性らが嫁いできた時期には、道路も今ほど整備されておらず、また交通手段も限られていたことから近隣の村出身が多いが、若い女性らの嫁入りの時分には、道路は既に整備され、またバイクなどの交通手段も普及したことから少し離れた村からも嫁に来ているのではないか」を立てた。この仮説を基に、さらに多くの女性らに話を聞いていくと、年配の女性でも随分と遠くから嫁に来ている人もいれば、若い女性が隣村から嫁いできている場合も多かった。最初に聞いた数人のうちに「年配の女性は近く、若い女性は遠く」という傾向があっただけで、全体でみればそうした傾向は見られなかった。私の立てた仮説は実証されなかった。しかし、私はこうした作業を、仮説を実証するためにしているのではなく、ただ村のことをもっとよく知るためにしているのであるから、こうした失敗も私にとってはとても貴重で、また次の興味深い疑問に繋がっていくのである。「夫との出会いは?」

疑問は、いつまで経っても尽きることがなく、次々に湧いてくる。いや、疑問を一つ解決する度に、またあらたな疑問がたくさん湧いてきてむしろ知りたいことが増えてくる。この意味で、このパズルは永遠に終わらないのではないかと思われる。このパズルには、「縁」がない。

地域の地図という地理的な全体像だけでなく、人間関係、社会構成、歴史、習慣などありとあらゆることがこのパズルには描かれていて、ピースを集めはめていく作業は終わることがない。地域を囲う枠すらないのだから当然かもしれない。行政区分では、ここからここが村でそこから先が別の村、そしてここが市境、県境、国境などと線引きされているが、実際に生活している彼らからしてみれば、そんな線引き一切関係ない。特に、村界隈は出稼ぎも盛んであるし、複数の市場への行き来や他地域に住む親戚との付き合いなど人やモノの動きも盛んで、地理的な境界線はほとんど意味をなさない。このために、隣村にいって始めて意味を理解できる村で見つけたピースもあれば、村とはだいぶ離れた、例えばサケテ中心部での出来事との関連で見えてくる絵もある。どこにでもピースは転がっているし、どこまでもそのピースをつないでいくことが出来る。


「ジグソーパズル」を作っていく中で、情報の価値について考えることがよくある。私が関わっている村に関しては―大抵の場合、他の村もそうだと思うが―、その地域の情報が外にいては入手しづらい。つまり、村に入っていき、一つ一つ自分で情報を集めていかなければならず、また情報は体系化されていないから、様々なソースをあたり、様々な手段で集めていき、組み立てていく他ない。特に、村人にとって当たり前になりすぎている事柄は、彼ら自身も意識せずに行っていることも多いため、単に口頭で質問しただけでは、知りたい情報は手に入れられない。また、村人の間に流れる感覚や雰囲気などは、言語化された情報として得ることは出来ない肌で感じる情報である。このように村の情報は、なかなか入手しづらいが故に、入手するまでにいろんな出会いやストーリーが生じている。そして、こうした情報の背後にある出来事が、このパズルをより貴重な、唯一無二の素晴らしいものにしてくれている。

このパズルは、単に目標物としてのピース(情報)を集め、はめていけば完成するというわけではなく、その情報を集めた背後にある人々との会話や関わり、そこに至るまでの仮説検証や思考の巡り、ためらいや葛藤などを含めて、一つの絵として結晶して行くのである。仮に、私がこれまで明らかにした村の状況、人々の生活、価値観・世界観、彼らの持っている概念、人間関係や村の歴史や発展などについての情報が全く同じ形で記載されたガイドブックが存在するとしても、私が持っている情報は、そのガイドブックよりもはるかに価値のあるものだと自信を持って言いたい。情報の価値は、その情報にだけ宿るのではなく、どのような過程でその情報に辿りついたのかも含めて、一つの価値と私は考えるからである。

この意味で言えば、厳密に同じ価値を持つ情報というのは二つと存在しない。それぞれの情報は、その情報を持つ人との関わり合いの中で、その(付加)価値が見出されるため、似たような情報、表面上は同じ情報はあるにしても、厳密にはそれらの持つ価値は異なると言えるのではないだろうか。昨今は、インターネットが普及して、何かあるとすぐに「情報」検索をする。それは先進国に留まらない、任地サケテの中心部でも似たような光景を身にすることが増えてきた。「情報」にすぐ辿りつけるという意味では非常に便利ではあるが、それを得る過程の人間との関わりやストーリー、思考の巡りなんかが省略されてしまっていて、どうも情報の価値が軽くなっているような印象を抱く。こうして偉そうに書いている私自身もインターネットを利用するので、自分のことを棚に上げるつもりは毛頭ない。ただ、パソコンやスマホに向かって集める「情報」と、現地で実際の人間とのふれあいの中で無我夢中で集めて作り上げていく「情報」とでは、質において全く異なるのだということは常に頭に入れておくつもりである。後者の「情報」は、事実を重んじる立場からみると、不正確で正すべき情報も多々含まれていると思う。しかし、全く正確な人間というものが存在するだろうか?「情報」が事実と照らしてちょっとくらい不正確であっても、それはそれで人間らしくて素晴らしいことなのかもしれない。(もっとも、この「人間らしさ」を、事実をないがしろにすることを正当化するために使うつもりはない。)
posted by 木村だっくす at 06:44| Comment(2) | 活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月20日

Sへの手紙

2015年4月21日(火)

親愛なるSへ

元気ですか?Kヶ根での生活や仕事はどう?
君の手紙(2014年3月30日付)の手紙を受け取ってからだいぶ時間が経ってしまった。ペンを取るまでにこれだけの時間がかかってしまってごめんなさい。この間、ずっと君に手紙を書こうと思っていたのだけど、どうしてもそこまで至らなかった。きっと、君にフランス語の添削をされるのが怖かったんだと思う!でも、君のことを忘れたことは一度たりともない、それどころかしょっちゅう思い出しているくらいだよ。
僕が日本を発ってから今日まで、実にたくさんの日本人ボランティアがベナンにやって来た。君は覚えているかな、例えばH254のRやH262のNとか。ベナンに来る前からみんな僕のことを知っていて、いつも驚かされる。聞くと、君が僕のことを話していると言っていたよ。僕のことをそんなに気に入ってくれているみたいで、ありがとう!とっても嬉しいよ!


さて、ここでの生活についてちょっと書こうと思う。アフリカでの生活、正確にはベナンの僕の村での生活は僕にとって、とても魅力的。僕はアフリカ人が好きだし、彼らの文化も彼らの生き方もみんな好き。すごく素敵だと思っている。(もちろん常に幸せというわけではないけどね。外国人でいることの大変さは君も良く知っているだろう?)

今、僕は、まるで人類学者にでもなったかのように村に住み込んで生活して、人々の生活を観察しているよ。電気なし、水道なしの村。JICAから頼まれた仕事は、現地社会に必要なことだとは僕にはどうしても思えなかったから随分前にやめちゃった。

僕のいる村はベナンの南東、ナイジェリア国境の市にあるから、ここの人たちはナイジェリアとベナンを日常的に行き来している。だから中には英語を話す人も結構いたりする。仏語圏のベナンに来て、こんなに英語を話すことになるとは全然予想してなかった!とはいえ、村の大部分の人が話すのは現地語なんだけどね。村人は基本、ナゴ族と呼ばれるヨルバ族系の民族で、話す言葉はナゴ語と呼ばれる言葉。だいたい、村人の70%は現地語だけしか話さなくて、15%が仏語とナゴ語、10%が英語とナゴ語、5%がナゴ語、仏語、英語を話せるかな。でも村にとってはやはりナゴ語が一番大事な言語だから、僕はいま村人たちとコミュニケーションをとりながら必死にナゴ語を習得しようとしているところ。現地語を理解しない限り、どうしても彼らの生活、価値観を深くまで理解できないと僕は思うんだ。ここで生活していると、いつも思うことがある。それは「言語と文化を切り離す事は出来ない」ということ。村でいろいろと話をしていると、ナゴ語しか話さない人と他の外国語も話す人の間に、考え方の違いのようなものがあることに気がついた。外国語が話せるような人々は、僕との間でなんとなく話しの土台を共有している気がして、そういう人とは話すのがより簡単なんだ。決して言語能力の問題だけの話じゃない。きっと、フランス語や英語に内包している西欧的価値観がその土台になっているんじゃないかなって思う。僕は、話す言語は、その人の考え方や価値観に大きな影響を持っていると考えている。そして、それが正しいとすると、本当のアフリカの精神というのは、現地語しか話さないような人に強く宿っているんじゃないかと思うんだ。だから僕は、本当のアフリカの生活、価値観をもっとよく理解するために、現地語の習得に勤しんでいるというわけ。君は、語学講師として、このことについてどう考える?


この他に、生活の中で僕がよく抱く考えは、「生き方を変えるべきなのは、彼ら(“発展途上国”の人々)でなく、私たち(“先進国”の人々)ではないだろうか」ということ。僕たちボランティアのような外国人は、人々を「助け」、生活を「改善」するために、アフリカの国にしょっちゅう来る。国を「発展」させるために、「豊か」にするために。アフリカ人政治家たちもかなり西欧化されてしまっているから、彼らも同じ目的に向けた努力を惜しまない。(もしかしたら、彼らは開発を進めることで彼ら自身に利益があるからしているだけかもしれないけど。)例えば、ベナンの現大統領のヤイボニの政党、「Forces Cauris pour un Bénin Emergent : FCBE(新興国ベナンを目指す宝貝勢力)」って名前なんだ。宝貝は、知っての通り、以前、貨幣として使われていた貝殻。つまりお金とか経済の隠喩。なんだか、みんな、開発や経済成長と言う名の理想郷を夢見すぎている気がするよ。これはあくまで個人的にだけど、僕にはね、メインストリームの、「開発」に向けた外国からの援助とアフリカ自身の努力は、欺瞞と幻想に溢れているように思われてならないんだ。

はたして、“先進国”日本は、“途上国”ベナンより「優れて」いるのだろうか?毎年三万人の自殺者がいて、過労死があり、汚染物質を垂れ流す原子力発電所があり、オリンピックの背後で野宿者の強制排除が行われているのに?たしかに、物質的には日本は豊かかもしれない。しかし、人々は本当に幸せを感じているだろうか?物質が人々を支配してしまっていないだろうか ?国内の格差はどんどん拡がって、富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなっている。もう一度問いたい。はたして、日本はベナンより「優れて」いるのだろうか?僕はこの点を疑っているんだ。確かにベナンには、とてつもなく高いタワーはないし、「クールな」科学技術もなければ、巨大スーパーマーケットもない。でも、その分、無意味な過剰消費もないし、社会的不公平もないし、貧しい国の搾取もない。いまは誰もが経済成長を望むけど、僕はこの点を疑いたい。人々が血眼になって答えを探すべき問いは、「いかにして金を稼ぐか」ではないと思う。そうではなくて、本当に重要な問いは、「いかにして開発と経済成長の欺瞞と幻想から人々を解放するか」にあると思うんだ。そして、この問いを突き付けられているのは、決してアフリカの人たちではない。問いを突き付けられ、そして生き方の変化が迫られているのは、私たち“先進国”の人間の方であると僕は確信を持って言いたい。アフリカの人たちではない。“先進国”の私たちの生き方にこそ変化が迫られているのではないか!Sは、間接的に「開発」に関わる立場として、このことについて、どういう考えを持っているのかな。Kヶ根にいた時は、僕自身、こんな考えを持っていなかったから、君とこういう話題について話し合うことは無かったね。いまは、君がどんな気持ちで仕事をしていて、どんな気持ちでボランティアを送りだしているのか、すごく興味深く思っているよ。今度、じっくり話聞きたいな。


なんだか長々と書きすぎてしまったみたい。他にもここで感じていること、思っていることはたくさんあるけど、紙幅の都合もあるし、今日はここらへんでやめようと思う。日本で会った時に、もっと深く議論出来たらいいなぁ。出来れば他のみんな(OやY、M、Sたち)も交えてさ。それじゃ、健康には気をつけて、旦那さんとも末長くお幸せに。
posted by 木村だっくす at 23:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月14日

光と闇

田舎の夜はいつも素敵だ。わざとらしく街を煌々と照らす人口的な光はなく、月の仄かで優しい光が大地を照らす。人々の手元にある灯油ランプや懐中電灯は、辺り一面を照らすことはなく、それらは、夜空に点在する星のように、ぽつぽつと見えるのみだ。そうか夜は暗かったんだよな、と当たり前な、しかし多くの近代人たちが忘れてしまったことに気が付かせてくれる。

マンゴーの木や土壁の家、トウモロコシ畑の背後に、黄土色の満月が夜空に浮かび上がる様子は、おそらくこの世で最も美しいものの一つだろう。昼の間、太陽の光に照らされ、全く別々の個々の存在として浮かび上がっていた事物が、夜の闇のなかにあっては全てが溶け合い、全体で一つを形作るようになる。光と明るさが支配していた世界は反転し、闇と影が大地を満たす。満月の照明を背負った事物は、立ちながらにして影となり、色彩豊かな姿から一転、黒一色を全身に纏った姿に変わる。事物から明晰さは失われ、境界が消滅し、輪郭は、もはや個を浮かび上がらせるものではなく、全体を一つに融合する働きを担う。ここでは、あのマンゴーの木も土壁の家もトウモロコシも、藪や土の中で眠り、目を見開き、働いているだろう大小さまざまな動物や虫、微生物も、そして私たち人間も、互いの区別はなくなり、一つの世界を作り上げるために存在しているかのようである。

人は、夜や闇、暗さといったものを、昼や光、明るさのなにかしら否定的な存在として捉えがちだ。しかし、夜空を見上げ、広大な宇宙を想像するとき、光の中に闇が存在するというよりはむしろ、無限にひろがる暗闇の中に光がその存在を置かせてもらっているようにすら思われてくる。ただ、だからといって闇は光を否定せず、光も闇を否定しない。むしろ光の存在を前提に闇が、闇の存在を前提に光が存在しているのである。この大地では、夜は、昼を否定して訪れるものではなく、地球の、自分の立っている部分が太陽の方を向いた時に昼が訪れ、反対側を向けば夜が来るだけの単純なものにすぎない。おそらく、人間は昼を活動時間に選んだために、昼の特徴である光を良いものと捉える傾向にあるのだろうが、夜が活動時間の動物たちにとっては、光と闇に対する感覚は人間とは随分異なることだろう。光が存在しなければ闇は存在せず、闇が存在しなければ光もまた存在しないように、明るさの中でより活動的に生きるものも、闇の中でより活動的に生きるものも、互いの存在を前提にその存在を維持している。両者に優劣はなく、それぞれが個として存在しながら、同時に、全体として一つの世界を形作っているのである。


光と闇の関係を考えるとき、私は、近代西洋文明と非西洋文明の関係を連想せずにはいられない。光が事物を照らし、個々の存在に明晰さを与えるように、近代西洋文明では、あらゆる事物を細分化し、個々の存在が強調される。人間も含め、事物は可能な限り小さな単位に落とし込まれ、その一つ一つに特有の名前がつけられ、理路整然と分類、整理され、論理的な解釈、明確な意味づけが与えられる。あたかも私たちの生活する世界は、その一層は保健の世界であり、他の一層は教育の世界であり、また別の一層は農業の世界であるといったふうに層をなしている世界の一系列かのように捉えられ、世界は、一つの有機的な全体であるよりも、互いに孤立した諸部分の複合体であるかのような様相を呈する。病気は専門の医師によって診断されなければならず、教育は学校で担われ、農業は農家が行わなければならない。人間と自然の間には明確な境界が引かれ、人間と自然とは切り離され、自然は人間が許容する範囲で利用されるにすぎない。また、しばしば個人主義と言われるように、社会生活において、「個」が社会に先立つ基本単位であり、日々の生活がより小さい単位で完結している。近代西洋文明の作り上げてきた社会では、生活の雑事はすべて家庭内で完結し、隣人との協力はほとんど必要でなくなっている。個人でも一定の現金収入を稼げるようになったために、独力で生計を営める個人の数も多い。

他方、非西洋文明、特に私が現在触れているアフリカ文明では事情はだいぶ異なる。意図的か偶然なのかは不明だが、起こっている事象の要素を細分化し、分類して、科学的に全てを解明しようとする姿勢は見られず、社会の中に曖昧さを多く残している。事物の解釈は、それを説明する理論や理屈よりも、経験や言い伝え、または友人、知人などからの伝聞に依ってなされ、原因不明の事態には、科学的な原因究明よりは、神の仕業や呪術といった一般の人間を超越した何かに原因を求めることが多い。現地の人たちが、「神のみぞ知る」と言葉を発するのを聞くと、一般の人間に全てを理解することは困難であることを、ある種のあきらめのような形で、認識しているように思われてくる。世界は、切り取られた部分の集合ではなく、まとまりが有機的に連なることで形作られている。私たちの生きる世界は、農業、教育、保健などの分野ごとに切り取られるのでなく、それぞれの生活に関わる分野が生活に関わる範囲でまとまって意識されている。事物の境界は曖昧なままで、自然と人間を別個の存在として分け隔てる境界も設定されない。人間は自然の一部に否が応でも組み込まれ、時に生活を脅かされながら、偉大な自然の中にひっそりと身を置かせてもらっているかのようである。


夜、人工的な光を照らすとかえって暗くなると感じることがある。月明かりで優しく照らされていた大地も、蛍光灯の強い光が近くにあると、急に暗く思われてくる。逆に、普段、電気で照らされたところで停電がおこると、月の明るさに気が付く。電気の光は、月明かりによって本来は明るいはずの夜ですら暗いものに変えてしまう。

光から見る闇はただの暗闇にしか見えないが、闇の中にいると闇は決して何も見えない真っ黒な世界ではない。近代西洋文明は、その「光」でもって非西洋文明の「闇」を照らすことで、様々な問題を浮かび上がらせ、その解決のために救いの手を差し伸べようとする。近代西洋文明という「光」によって、世界全体を常に「明るい」状態に保とうとする。しかし、昼があって夜があり、光があって闇がある世界が、もし常に昼で、全てが光だったらなんて退屈だろうか。夜の闇の中で、とはいえ完全な暗闇ではなく、月明かりの仄かで優しく、まぶしすぎない灯りに包まれたアフリカ農村部の大地の上で、近代西洋文明と非西洋文明は互いを否定することなく、対等な立場で共存することは出来ないものかと、私は考えを巡らせるのである。
posted by 木村だっくす at 17:18| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エボラ出血熱は昔からベナンに存在していた!?

2014年8月上旬、エボラ出血熱疑い患者がポルトノボで出たと言うことで、JICAベナン支所より隊員宿泊所へ退避することが命じられ、同月下旬に帰任許可が下りるまで、一カ月弱コトヌーで過ごすこととなった。このエボラ出血熱に関しては、ポルトノボの疑い例発生直前までは、現場の人々はエボラなんて全く聞いたことのないような顔をしていたのに、疑い例発生の直後になると、とたんに「エボラ予防法」に関する情報を街中の人が―全ての人が、と言っても過言ではないほど多くの人が―入手していた。聞くと、ラジオやテレビ、それに家族・友人・知人間の伝聞によって急速に拡がったようだ。この「予防法」に関しては、情報発信から半日足らずで、迅速にかつ正確に街中に拡めることを可能にしたベナン社会の情報伝達網に驚くとともに、その具体的な予防方法にもだいぶ驚かされた。予防には、温かいお湯と塩と生玉ねぎで身体を洗うと効果があるという。なんでもギニアのある医者が言いだしたとか言い出していないとかで、とにかく街中の人が信じ、その予防法を実践していた。


そんな人騒がせなエボラ出血熱だが、実は昔からベナンにも存在していた、という話を耳にした。

エボラ、エボラと聞きなれない名前をつけるから同定できなかったのだが、よくよく症状について聞いてみると、ナゴ語でogodoと呼ばれる病気のことに違いない、という。ogodoは昔からベナンに存在していて、その病気になったものは森の中に隔離され、呪術を伴った伝統的治療師(現地人による仏語表現ではcharlatanもしくはvisionnaire。「ロワイヤル仏和中辞典」によると前者は「いかさま治療師」、後者は「夢想家」「見神者」との訳語があてられているが、現地では決して否定的な意味では用いられておらず、肯定的な意味での伝統的治療師や呪術師、占い師の総称である。)による治療を受ける。治療師は、占いによって使用する煎じ薬を決め、治療を開始する。または、草木が治療師に直接語りかける(!)ことによって煎じ薬が見つけることが出来る場合もある。占い、もしくは草木からの直接の働きかけによって、患者に使う煎じ薬の種類と場所(採取場)が判ると、治療師は裸で採取しにいく。その間、誰にも見られてはいけないため、真夜中零時や1時に藪に入り、煎じ薬の素となる草木を探す。真夜中なので藪は暗闇であるが、治療師には既にどこに目的の草木があるかわかっているため、一直線にその場に向かう。その後、その煎じ薬で治療をする。

治療が終わったら、使った煎じ薬や患者の来ていた服(布)はすべて森の中に埋められる。全身の毛を剃り、爪を切り、それらも土に埋める。完治したら、すべて新しい布で服を作った後、家族のもとへ帰ることが許可される。無事に家族の下に戻った患者は、山羊などを購入し、儀式(セレモニー)を行う。儀式をすることで、それ以降、家族は同じ病気にかからなくなる。


これは、にわかに信じがたい話であるが、個人的には少なからぬ真実を含んでいるように思える。患者を森に隔離するところや(患者の体液が付着していると思われる)服を土に埋めて触れないようにするところは、エボラ対策(患者の隔離、体液に触れない)との共通点を感じないだろうか。

国際機関によると、エボラ出血熱は、1986年にコンゴで発見されたと言われているが、この「発見」はあくまで先進合理人がその病気に「出会った」という意味で、コロンブスのアメリカ大陸「発見」と同じ意味であるように思えてならない。エボラウィルスの保有動物は、はっきりとした結論は出ていないものの、野生動物(コウモリ等)ではないかと言われている。もし仮にそれが正しいとすれば、日常的に野生動物を食べることの多いアフリカ人の中に、1986年以前に、まだ発症確認されていない国や地域でエボラ患者が出ていたとしても不思議ではない。また、たとえエボラ出血熱のような患者が現れたとしても、伝統医療や呪術への信頼が厚いアフリカ社会においては、近代医学や科学を用いて病気の原因(ウィルス)の解析をしようとする発想は出てこないだろうし、それを探ろうとしたとしても先進合理人たちが認めうる検査をする技術や設備もないだろう。そうなると、土地の人の噂や言い伝えの形で症例が残ることはあっても、記録としては残らない。


先人の蓄積を侮るなかれ。煎じ薬の知識に関しても、西洋医学によってその効果が科学的に実証されていないだけで、中には効果的なものも含まれている、というのが個人的な実感だ。アフリカ社会では、幾代も世代を重ね、知恵や知識を蓄え、後世に伝えてきた。近代西洋医学のやり方とは異なるが、薬(煎じ薬)や病気の「研究」も行われており、それらの研究成果は秘密裏に―私の接しているアフリカ社会は秘密社会と言っても過言でないほど、一般の人は知ってはいけないとされる事柄が多い―次世代に引き継がれている。学校教育は近代西洋医学をもって「医療」とみなし伝統医療を否定するが、人々の間では未だに伝統医療に対する信仰は篤く、病気になっても病院にはいかず、煎じ薬など伝統医療で治そうとする人も少なくない。そして、実際に、彼らは伝統医療によって治癒し、その後も元気に生活している。エボラ(ogodo)治療法も、西洋医学を全面的に肯定する立場からは一笑に付す話だろうが、一度その立場を離れ、アフリカ伝統医療を再評価する観点から眺めれば、そう簡単には否定できるものではないかもしれない。

なお、このような言い伝えのようなエボラ関連や煎じ薬についての話は、基本的に高齢の人からしか聞くことが出来ず、話してくれるのはいつも50歳以上の人たちである。エボラに関する若者の反応は異なっていて、ラジオやテレビで騒がれているエボラ出血熱の存在自体を疑っている人も少なからずいる。エボラ騒ぎは、「白人」がデマ情報を流しているのが原因ではないかと疑っている。実際、ベナンにエボラ患者は一人も出ておらず、身近にエボラにかかった人がいないため、エボラ出血熱という病気があると言われても、そう簡単には信じられないようだ。(ちなみに、エイズに関してもその存在を疑う声も時々聞く。「白人」がアフリカ文化を破壊しようとする陰謀ではないか、と。)
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生身の人間力

現地の人の、生身の人間としての力強さにはいつも驚嘆させられる。

無駄な脂肪のない引き締まった胸板や腹筋、逆三角形の背中、肩から指先まで続く腕全体の筋肉の流れ、そして綺麗な曲線を描く臀部から伸びる、上半身とは対照的な細長い脚は、筋力トレーニングによって意図的に作られた肉体では表現できない、実際の生活上の要求から生じる労働で培われてきた強靭さとしなやかさを表現している。皮膚、特に手の平や足の裏は、信じられないほど堅く分厚いため、火の付いた炭や調理中の鍋を手掴みすることや、石や草、時にはガラス片も混じる地面を裸足で歩くことも容易に出来る。畑での雑草刈りは、もはや雑草の域もとうに超えた、ぼうぼうと生い茂った草木の中に裸足で入っていき、山刀などの最小限の道具と己の肉体のみでやってしまう。

力強さは、肉体にとどまらない。人間が集まる、ただそれだけで、会話が弾み、笑い、泣き、楽しむことができる。数人集えば、会話だけで数時間は簡単に経過する。時には大声で笑い飛ばし、時には目に涙を浮かべながら、実に様々な話題に話を咲かせている。街中でよく、女性同士が大声で会話している様子を見かけるが、顔の表情から手の動き、身体全身を目一杯使って感情を表現する姿に、私は人間としての力を感じずにはいられない。あたかも、自己表現をするために、その大きな身体をわざわざ長い年月かけてこしらえられたかのようである。

大人ばかりでなく、子どもたちも力強い。緻密に設計され、遊び方が明示されたおもちゃがなくても、身の回りにあるものを自分のおもちゃに変え、街中のあらゆるところを遊び場にしてしまう。鍋の蓋や使わなくなった自転車のタイヤを枝で転がしながら駆けていく姿や、葉の一部を折り中央に細い枝を指して風車を作って遊ぶ姿も良く見かける。捨てられた缶詰めとプラスチック製の米袋で作った太鼓やペットボトルなどを楽器にした即席の音楽隊を形成し、ほとんど形をなしていない穴のあいた球体でチャンピオンズリーグに出場する。

また、老若男女問わず、うまくいかないことを「まぁそんなものか」と受け入れる力にも感心してしまう。先進合理人の私の感覚からすると、任地の生活は、思い通りに事が運ばないことが多い。買い物の時にお釣りがないのは当然のこと、雨が降ったら道がぬかるむせいで移動がうまく出来ず待ち人が来ない、もしくは店が開かない、停電のせいでどうしても今日したいコピーが出来ない、予定していた待ち合わせが無期限延期となるなど、うまくいかない例は枚挙に暇がない。だが、現地の人たちは、慣れているからか、こうした事態に直面しても、苛立つことも不平を洩らすこともほとんどない。全くないとは言わないが、ほとんどないと言っても差し支えないほど少ない。(私自身、赴任当初は、苛立ち、不満に思うこともあったが、あまりにも上手く行かないことが多く、また現地の人たちが全く気にする素振りも見せないため、いつの間にか、苛立つこと自体が馬鹿らしく思え、「まぁそんなものか」と気にせず過ごせるようになってきている。)

このように生身の人間としての力強さを生活の随所でのぞかせる一方で、その力を、人間の周囲にある外的環境に手を加え、人間が生きやすいように環境そのものを変化させようとする方向に用いることは少ないようである。特に農村部では、ある程度の自然状態を保ったまま、生活しているような印象を受ける。よく行く村の畑も、自然の地形を少し掘り起こしたようなところに畝を作り(もしくは畝すら作らず)、トウモロコシやマニオク(キャッサバ)を植えていて、無理に地形を変形させたり、整備した形跡は見られない。また集落そのものも、自然環境を大きく変形させて人間の住処を作るのではなく、自然の一部に家を数軒ちょこんと置かせてもらっているというように映る。

ある時、地域の草サッカー大会の決勝戦を観戦しに行ったことがある。会場をしっかり確保し、観戦にはチケット購入が必要、テントで来賓席も作り、おまけにマイクとスピーカーを通した実況付きという手の入り様。プレーする選手の中には、ベナンサッカーリーグのプロ選手も含まれており、選手全員のユニフォームもそろえた、かなり本格的なサッカー大会であった。しかしながら、グラウンドは全くと言ってよいほど整備されておらず、ところどころ雑草が生い茂り、グラウンドの起伏も目立った。日本で小中高とサッカーをやってきた私にとっては、このグラウンド未整備は少なからぬ驚きだった。日本のサッカーでは、グラウンドの使用前、使用後にはグラウンド整備が必ず伴う。グラウンドが整備されていないと、パスしたボールが思い通りに届かないことや、起伏に躓く危険もあるし、なにより良いサッカーが出来ない。しかし、現地の人たちは、グラウンド環境を整備しようという意思は微塵もないようで、グラウンドが整備されていないことを問題視する声は一切挙がらなかった。

外的環境を変える意思が少ないはっきりとした理由はわからないが、昼の太陽の暑さや雨季の雨など、人間の力ではどうすることも出来ないような自然環境の中で世代を重ねてきた彼らには、環境に手を加える、という発想自体が本来的に存在しないのかもしれない、と私は考えている。人間を圧倒する自然環境の中で、彼らは、外的環境を無理に変形させるよりも、人間の力そのものを高める方法で発展してきたのではないだろうか。彼らの筋力や病気への耐性は、何百年にもわたってこの地で世代を重ねてきた発展の結果であろう。外的環境を変え、生活がより楽に、便利になるように身の回りの道具を開発してきた先進合理社会から来た私のような外部者と現地の人々との肉体的差異あるいは思考法の違いは、それぞれの社会が選択してきた発展形態の違いから生じているのかもしれない。

少々単純化しすぎているきらいもあるが、大まかに言えば、先進合理社会は、外的環境や身の回りの物質を開発することで社会を発展させてきた文化で、一方のアフリカ社会は、人間の力を豊かにすることで社会を発展させてきた文化と考えられるだろう。ここでは、前者を「物質文化」、後者を「人間文化」と呼ぶことにする。本来、文化に優劣はないはずだが、今の世界は、歴史の偶然か神の仕業で、物質の豊かさが社会の豊かさを測る基準となったために、物質文化が人間文化と比べて「より優れた」文化であるとみなされることが多い。そして、「より優れた」物質文化の人々は、(表面的には)慈善心や正義感から、「より劣っている」人間文化を「より優れた」物質文化へと転換させようとしている。いつの間にか、この世界では、人間文化の方が物質文化に合わせなければならなくなってしまったのである。


人間文化から物質文化への転換は、社会の根底に流れる価値観の変更を余儀なくさせる。人間文化の価値観と物質文化のそれは、根本的に異なっているからである。

物質文化の思考様式は極めて目的的である。それは、未来のある時点においてのある目的を達成するために、現在何をしなければならないか、という逆算的、合理的思考である。思考のベクトル(指向)が未来から現在にむけて一直線に伸びている、と言い換えることもできるだろう。物質文化では、具体的であれ抽象的であれ、まず始めに目的が設定され、その上でその目的を効率的に達成するために様々な努力が向けられる。例えば、電力供給は、企業の経済活動や市民の快適な生活にむけて必要な電力量が設定された上で、その電力量を安定的に供給できるよう発電設備が整備されて、発電がおこなわれる。消費したいエネルギー量ありきであって、その消費予定量を減らすという考えはない。消費したい量はそのまま、それを供給できるように環境を変え、物質を整えていくのである。外的環境は人間とは明確に切り離され、対象化され、環境や物質は、人間が人間の目的を達成するために、利用されるにすぎない。

一方の人間文化の方は、目的(=達成したい結果)よりも過程に中心価値が置かれているようである。連綿と続く自然の大きな流れの中に、人間の現在が位置付けられ、あらゆる可能性がある未来に向けて人々が歩んでいる。思い通りにならないことも想定内で、神のみぞ知る未来に向けて、今この瞬間を生き、次の瞬間に次の一歩を踏み出すのである。物質社会と比べ、未来志向は薄く、明確な目標設定も見られない。外的環境は対象化されず、人間は環境の中に溶け込んでいる。

私は、ここで、「人間文化」とまとめて論じているが、この「人間文化」の思考の方向性は、生物一般のそれと極めて近いのではないかと考えている。生物は、地球上に誕生してから現在まで、周囲にある自然環境に適合しながら(または、適合したものが)生き残ってきた(=遺伝子が次世代に受け継がれてきた)が、その間、生物は、外的環境を変形させるという意思を持たず、その時その時の環境を所与のものとしてきた。未来のある時点からの逆算的思考は存在せず、意識は常に現在に向けられ、その現在は自然の大きな流れに漂い移ろいでゆく。


一方の文化が、価値観の根本的に異なるもう一方の文化への統合を余儀なくされた時、それは価値観のみならず社会の姿かたちまで大きく変容させることになる。自然環境が中心に置かれている「人間文化」から、人間の活動が中心に置かれる「物質文化」への転換が促されることは、社会の根本的な思考の方向性が目的的になることを意味し、また固定化された目的を達成するために、環境を変形させることをも厭わない社会になることをも意味する。

社会のあらゆる側面が貨幣価値に換算されて測られる「物質文化」におけるもっとも中心的な目的は、経済成長である。この際限なき目的に向けて、環境や物質の条件整備が行われているのが、私たちの目にする物質文化の主たる特徴と言っても過言ではない。

経済成長の中心的役割を担うのは、企業活動であるが、現代の企業活動には、コンピューターを始めとする機械が欠かせない。そして機械の動力として、相当量の電力供給が必要不可欠であり、安定的な電力供給にはそれに見合った発電設備が必要で、発電設備を稼働し続けるためには、石油や水力(ダム)、原子力が安定的に確保されなければならない。ヒト、モノの移動をスムーズにするためには、自動車、舗装道路、トンネル、橋、鉄道網などの交通環境条件が整えられなければならず、人的資本、すなわち経済に参加する人間の能力(識字、計算、論理的思考など)を高めるためには近代学校教育が整備されなければならず、効率的な作物栽培のためには、畑に機械が導入され、化学肥料によって人為的に必要な栄養分を選択して与えられなければならず、現在生きている人間を一人でも多くの人を一年でも長く生き残らせるために近代医療設備が整備され、ワクチンや予防薬、新薬が開発されなければならず、絶えず排出される様々なゴミを処理する施設がなければならず、河川はコンクリートで固め人為的にコントロールをし、上下水道が整備されなければならない。

物質文化の社会システムを円滑に運営するためには、外的な自然環境は大きく変形され、物質はある特定の目的だけに利用され、目的にそぐわない無駄は徹底的に排除されていく。この目的的な思考法では、目的達成に資するか、という点のみに関心が向けられ、外的環境と人間活動の関係や自然の供給能力、また外的環境の変形や物質を豊かにすることのネガティブな副作用が考慮されることが少ない。


人間文化から物質文化への転換に関する私の主要な問題意識は、価値観の根本的な転換を余儀なくされる点(すなわち、これまで持っていた価値観が失われる点)、目的的な超合理的思考によって過度に自然環境が変形される点のみならず、外的環境を変形し、物質を豊かにすることによって、それまで人間文化の持っていた生身の人間力を減退させることにつながるのではないか、という点にある。

人間文化で、これまで人間の身体力(骨や筋力、皮膚の固さ)によって行われていた作業は、物質文化においては機械に取って代わられる。雑草刈りや薪割り、畑仕事、長距離移動などを行うための身体力はもはや必要なくなり、人間はただ機械を操作出来れば良いだけになる。機械の操作は大抵、ボタンを押したりや操縦バーを動かしたり、アクセルやブレーキを踏んだりする程度に過ぎず、人間の身体一つで行っていた時ほどの筋力は要求されない。

また、物質が豊かになるにつれて、人々は次第に物なしでは、楽しみを見出せなくなる可能性もある。一つの例がインターネット機能付き携帯電話だ。最近、任地サケテでもインターネットが出来る携帯電話を持っている人が、若者中心に増えてきた。携帯会社も、通話用プリペイドクレジット(クレジ)を購入すると、数メガバイトのインターネット通信を無料サービスしていることも相俟って、インターネットへのアクセスが急速に拡大している。その影響で、街中で携帯画面に夢中になっている若者の姿を良く見かける。彼らが夢中になってやっているのは、フェイスブックなどのSNSサービスや友人、知人、恋人とのメールである。人といる時ですら、目の前の人を等閑にして、携帯に夢中になっているものすらいる。以前は、人がただ集まっただけで楽しめたのが、それだけでは飽き足らず、その場にはいない知人友人の情報やどこか遠くで起こった事件のニュースといった刺激物がないと楽しめなくなってきているように感じる。

子どもの人間力を削ぐ可能性のあるのは、おもちゃである。最近、任地では、ナイジェリア方面から入ってきていると思われるおもちゃが多く販売されるようになってきている。ミニカーやアクセサリーから、大きなトラックや飛行機のおもちゃなどが良く目につく。中でも、小学生に大人気なのが、プラスチック製のプロペラおもちゃ(小25フラン、大50フラン)だ。小学校でも街中でも、子どもたちがこのプロペラおもちゃで遊んでいる様子は良く見かける。この様子を見ていて、私は日本の子どもたちが(私の子ども時代も含めて)テレビゲームや携帯ゲーム機(ゲームボーイなど)に夢中になっている姿を連想した。というのも、おそらく、子どもたちは楽しむために次第に強い刺激を求めるようになっている気がするからだ。はじめは、鍋の蓋や捨てられた空き缶や米袋で楽しめていたのが、次第に楽しむためには、簡単なつくりのおもちゃを必要とするようになり、ゆくゆくはもっと緻密で刺激的なゲームが必要となってくるのではないだろうか。おそらく、享楽というものは、一度強い刺激を覚えてしまうと、その強い刺激がなければ楽しめなくなってしまう不可逆的なものなのだろう。きっと、日本の子どもたちに鍋の蓋やプロペラおもちゃを渡してもこっちの子どもたちのように楽しむことは難しいだろうと想像する。

さらに、環境を整備し、物質を豊かにすることで社会が便利になればなるほど、「まぁそんなものか」とうまくいかないことを受け入れる力が低下するのではないかという強い懸念がある。物質文化では、社会システムは極めて円滑に機能していて、生活する上で上手く行かないことは少ない。買いたい物を買うのに他人との余計な関わりはないし、お釣りがないことはありえない。注文したものはすぐに届き、24時間365日開いている店もあって、雨の日も交通機関は動いていて、道路も舗装道路だからぬかるむことはない。私の現在いる社会とは正反対で、すべてが簡単に出来てしまう。

この何の障害もなくスムーズに生活が行えている物質社会において、何か上手く行かないことがあった場合、「まぁそんなものか」と受け入れ、流せる人はどれだけいるだろうか。学生時代に過ごした東京の駅構内や電車、街中では舌打ちをよく耳にした。肩と肩がぶつかったであるとか、切符が改札を通らないとか、他人の話し声がうるさいとか、人が多いとか、とにかく今思えば全然大したことないようなことで人々が苛立っていたことが無数に思い出される。上手く行くことが当たり前になりすぎて、上手く行かないことを受け入れることができなくなってしまうのだろう。


身体の力強さや喜怒哀楽などの表現、物質に頼らずに楽しむ能力、うまくいかないことを受け入れる力…。生身の人間力がすごく高い人々が息づく人間文化である現場の社会。もしこの人間文化が物質文化へ転換してしまったら、私が現在感動して止まない彼らの人間力は減退し、自然環境は元の姿からはかけ離れて人間の都合のいい部分だけ利用され、物質が溢れる代償として狭量な心を生みだし、物質的な豊かさのみが社会の価値を決める社会になってしまうかもしれない、と私は懸念している。物質文化に近づこうとする必死の努力を一旦休め、これまで物質文化の辿って来られなかったような、人間文化の価値観を基盤とした独自の発展に向けて歩みを進めることは出来ないものだろうか。

…このように考えるのは、自らは物質社会であらゆる刺激を一通り味わった先進合理人が、今度は原始的なものに好奇心が向いた結果の、ねじ曲がったエゴであろうか。
posted by 木村だっくす at 17:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小馬鹿

現地の人々と話すと、特に初めて話す相手や付き合いが浅い相手の場合、小馬鹿にされたような態度を取られることが少なくない。
うすら笑いを浮かべながら、ジロジロこちらを見て、仲間内で私について何か話している。現地語で話しているため会話の内容は分からないが時々エイボと「白人(黒人以外の外国人)」を意味する言葉が聞こえてくるので私について話しているのは明白だ。一通り目の前の白人の噂話が終わったら、次に彼らの口から出てくるのは「何かくれ」という言葉である。その言い方は非常に軽々しく、さきほどのうすら笑いを浮かべながらなので、何かくれという要求も白人を小馬鹿にする一つのやり方なのだろうと想像する。この要求は、半ば冗談、半ば本気な言いぶりで、くれたらラッキーくらいの感覚で話しているものと思われる。この私の目には失礼に見えるこうした現地の人々のコミュニケーションは、ひどく私たち外来者を苛立たせる。外来者の反応は、小馬鹿にした態度に苛立ち怒りだすもの、無視して通り過ぎようとするもの、逆に相手を小馬鹿にするもの、一緒になってふざけ始めるものなどまちまちである。

人を小馬鹿にしたような態度には、赴任から一年経った今でも私は時々苛立ってしまうのだが、最近は、こういう態度は現地人式の一種のコミュニケーション方法なのかもしれないと思うようにもなってきた。小馬鹿にしたり、金くれと言ってみたり、半ば冗談半ば本気の言葉を外来者に投げかけることを通じて、その外来者がどういう人物かを判断しているように思える。真面目すぎる奴か、または一緒にふざけ笑いあえる奴なのか、仲間になりうる奴か、はたまたお金を落としていくだけの奴なのか、そういう判断をしているように思えるのである。実際、現地人同士で会話しているのを見聞きしてみても、相手のことを小馬鹿にすることが多い。数人で一人の人をこれでもかというくらい馬鹿にすることもあれば、お互い馬鹿にしあったりすることもある。また、こうした彼ら流の冗談についていけず、冗談を真に受ける外来者に接した場合、外来者をIl est sérieux. (彼はまじめだ)と言う評価を口にすることもある。このsérieuxは、良いニュアンスではなく、どちらかというと、真面目すぎる、面白みがないという意味を込めたある種の否定的な言葉である。

小馬鹿にした態度は、相手との付き合いの深度によって若干ニュアンスが違ってくることにも気が付いてきた。初めて話す相手、付き合いが浅い相手だと、それこそ「あの外人をからかってやろう」というニュアンスが強いのだが、一緒にいる時間が長くなってくると現地の人同士でふざけあう感覚を私に投げてくる場合が多くなってくる。付き合いが深まり、互いの身の上話からかなり下品な下ネタまで様々な話が出来るようになると、そうした仲間内のコミュニケーションの一部に、小馬鹿にする、というものが位置を占めるようになる。つまり、現地の人々にとって小馬鹿するという行為は、コミュニケーションの一部、言い換えれば、信頼関係を構築するプロセスの一部と捉える事が出来るのではないだろうか。したがって、私たち外部者は、小馬鹿にした態度に苛立ち、彼らと距離を置くのではなく、それも彼らとのコミュニケーションだと考えて積極的に小馬鹿にし合っていけばいいのかもしれない。そう思うようになってきた。

まぁ、そうは言っても、苛立つものは苛立つのであるが。
posted by 木村だっくす at 17:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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