2014年09月09日

エボラ退避の流れとその時々の思い考え5(退避明け〜最後に)


これまでの記事
エボラ退避の流れとその時々の思い考え1(疑い発生〜コトヌー退避)
エボラ退避の流れとその時々の思い考え2(ドミ滞在序盤〜中盤)
エボラ退避の流れとその時々の思い考え3(ドミ滞在終盤)
エボラ退避の流れとその時々の思い考え4(帰任許可〜帰宅)


8月29日(金)退避が明けて

昨日までの弾んでいた思いとは裏腹に、ゆっくりと動き出す。

ゆっくり動き出す意図があったわけではなく、気がつくと10時近くになっていたのである。昨日までの疲れも影響しているかもしれないが、それよりもサケテの人たちとの関わりが上手くできるか不安だからだと思う。どこ行ってた?どうして?何持ってきてくれた?と間違いなく聞かれるだろうし、それらにどうやって答えようか、んー、ああ答えよう、いやこう答えようと考えているうちにいつの間にか時間が経っていた。

重い腰をあげて、町に出る。いつものルートを、いつもよりたっぷり時間をかけて歩く。家を出てすぐのヤーベジのところ、アイシャ、オモエイボのところでの会話、ヤーショラ、モスケ前でいつもの関わり、市役所の人たちとの会話、ママモヨ家でのゆっくりとした時間。ゆっくり、サケテの人々と接することが出来る幸せをかみしめながら、時間を過ごす。どこに行っても、アラデ!ショウタ!と言ってくれる人たちがいて、改めてサケテにいられる喜びを感じる。

それと同時に、悲しみともとれるような複雑な感情も抱く。俺は、2年間という期間限定でこの町に留まっているだけなんだ、と。町の中に溶け込むために、可能な限り同じ言葉を話し、同じ服を着て、同じ髪型をし、同じように調理や洗濯をし、同じように踊り、同じように会話に時間をかけてきた。でも結局俺は、「帰るべき場所」がある外部者、彼らの長い歴史の中にほんの一瞬だけ顔を出した外国人でしかない。エボラが来ようが来まいが、ここにいなければならない彼らとは対照的に、俺は、何かの危険があったら逃げだす事の出来る存在なんだ。俺は、彼らが辿るべき運命を背負っていない、ただの外部者にすぎない。


最後に

ここベナンでの生活では、日本の生活とは比べ物にならないほど、五感を刺激され、思考を促され、感情を揺さぶられる。幸福な気持ちを感じていた矢先、苛立たされたり、少し沈みかけていると、そんな俺をふっと浮かびあがらせてくれたりする。日本にいるより生身の人間と関わることがはるかに多いここでの生活は、それに伴う喜怒哀楽もそれぞれ強く感じることが多い。決してここはユートピアではないし、ましてや地獄でもない。生身の人間が息づく現実世界である。

喜びや怒り、悲しみや楽しさ、いろんな感情が日々めまぐるしく渦を巻く。しかし、少なくとも今の俺にとっては、そうした喜怒哀楽を、ここの、ベナンの、サケテの人たちに対して感じられていることは幸せなことなのではないか。そう考えている。


きっと今回のエボラ退避は神の仕業に違いない。サケテにいられることをもっと感謝しろよ、サケテの人たちを大切にしろよ、サケテでの生活をもっと大事に過ごせよ、そういうメッセージに違いない。なるほど、ようやくわかった。
Dieu est grand. アッラーアクバル。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。
posted by 木村だっくす at 15:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月08日

エボラ退避の流れとその時々の思い考え4(帰任許可〜帰宅)


これまでの記事
エボラ退避の流れとその時々の思い考え1(疑い発生〜コトヌー退避)
エボラ退避の流れとその時々の思い考え2(ドミ滞在序盤〜中盤)
エボラ退避の流れとその時々の思い考え3(ドミ滞在終盤)


8月27日(水)午後、JICAから帰任許可が出る。

JICAから今後の対応が発表された。ナイジェリアでのエボラが不特定多数に拡大していないことから、コトヌー退避になっていたウェメ ・プラトー県(ナイジェリアとの国境の県。任地サケテはプラトー県に含まれる。)の隊員および看護師隊員に対し、帰任許可、活動再開許可が下りた。今後、ベナン全土の隊員は、任地の県で疑い患者が発生した場合は任地で自宅待機、陽性が確認された場合はコトヌー退避することとなった。医療機関への立ち入りは一切禁止、不要不急の都市間移動も禁じられた。


待ち望んでいた帰任許可だった。明日にでもサケテに戻ろう。ようやく戻れる。早く戻りたい。そう思うが、同時に、いつのまにか非日常だったコトヌーの生活が日常になりつつあって、サケテが遠く感じ、うまくやれるだろうか、という不安も抱く。チューニングに少し時間はかかりそうだ。


8月28日(木)夜、サケテ到着。

知人の車でポルトノボまで向かい、ポルトノボでお土産としてりんごとパンを買い、乗合タクシーに乗り込む。ドミで始めたギターもしっかり抱える。

すっかり暗くなった20時過ぎ、ようやくサケテに到着した。ずっと帰ってきたかった場所に、ようやく帰ってこられた。夜になっていたからあんまりはっきりは見えなったけど、見慣れた景色をもう一度見ることが出来て、底の方から、嬉しい気持ちが湧きあがってくる。もう戻ってこられないかもしれない、と8日にサケテを発った。20日経ち、忘れないように、と脳裏に焼き付けた景色を再び見た時、安堵感、「ホーム」に帰ってきた感覚を抱き、俺が大事にしたいのはこの景色や人々の醸し出す雰囲気、人との関わりなんだなと改めて認識する。

家では、家族が「おかえり」と嬉しそうに出迎えてくれた。一見怖そうな大家、女性達から子どもまで、大家族のみんなが俺の帰りを喜んでくれている。家の様子は相変わらず。変わってなくて、安心した。あの子がちょっと大人びていて、あの子の身長がすこし伸びたような気がするが、気のせいだろうか。とにかく、戻ってこられて、すごく嬉しい。

当たり前になりすぎていて、ここでの生活の大切さを見失っていた。今回の退避で、その素晴らしさを実感した。これからはこの気持ちを大切にここの人たちとともに生活して行きたい。

ここからがまた新たなスタート。もう一歩踏み出す。村滞在もどんどんしていくし、カウンターパートのおばちゃんの生活にもどんどん関わっていく。もっと住民に近づく。ナゴ語も今のレベルじゃ話にならない。相手の語りを、フランス語を介さず、理解できるようになりたい。
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2014年09月07日

エボラ退避の流れとその時々の思い考え3(ドミ滞在終盤)


これまでの記事
エボラ退避の流れとその時々の思い考え1(疑い発生〜コトヌー退避)
エボラ退避の流れとその時々の思い考え2(ドミ滞在序盤〜中盤)


8月19日(火)〜26日(火) 自分を制限する牢屋への気付き、脱獄の決意、滞在終盤

ナイジェリアのエボラ状況、6日に最後の新規患者が出て以降、新たな疑い例は見つかっていない。2〜20日とされる潜伏期間を考え、27日にはJICAから今後の対応を発表されることとなった。JICA関係者の口ぶりから、発表より前の段階で、任地に帰れる可能性が高いと想像した。


ドミで生活をし、本を読み、いろんな人と話しをしていく中で見えてきたもの。それは、自分の行動を制限しているのは、外にいる誰かでなくて自分自身である、ということ。自分で自分を架空の牢屋に閉じ込めているのである。結局、決断するのも、行動するのも、自分。やりたいことが出来ないのは、出来ない理由を探す自分がやらないからであって、自分に覚悟と行動力があればやりたいことを出来るはず…

ドミでの生活における現場から離れていく感覚も、自分が生活の仕方を変えればある程度はどうにでもなる。洗濯機が嫌なら自分で手洗いすればいいだけの話だし、レストランなんか行かずに道端のご飯屋さん探して食べれば良いし、ナゴ語が話したければ話せる人を探せばいい。すこしずつ行動制限が解けてきて、街に出てもいいことになっているのだから、ドミに留まっているのは、自分の選択でしかない。だったら、自分の選択を変えれば良いだけの話。

任地サケテでの生活では、村に少し滞在したいな、という気持ちが芽生えていたものの、一度も泊まったことはなかった。その一歩を踏み出せなかったのは、サケテの家に一緒に住む大家に夜帰ってくるように言われていたことや、配属先の視学官事務所にも、なんとなく毎日顔を出さないといけない気がしていたからだった。たしかに、いろんな人の意見はあるだろうが、そうした「制限(と思われるもの)」も、結局は、そうしなきゃいけない、と自分で思っているから、その「制限」内で行動しているだけなのではないか?結局、自分の行動を制限しているのは自分自身ではないのか?今の「制限」された行動は、結局、自分自身の選択の結果でしかないのではないか?


読書に耽ったり、映画鑑賞したり、久石譲のジブリ25周年コンサートDVD見たり、フランス語を勉強したり、だらだらしてくっちゃべったり、ギター始めてみたり、ビリーズブートキャンプやったり、語ったり、スキンヘッドにしたり、と任地で生活していると中々出来ないことをいくつかやれて、ドミでの生活はそれなりに有意義であった。だからもうドミに未練はない。任地に帰ったら、もう一歩踏み出そう。自分自身を閉じ込めていた牢屋から飛び出し、村の中に、人の中にどんどん入って、人々の生活を捉えよう。自分を縛る架空の牢屋からの脱獄を決意する。
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2014年09月06日

エボラ退避の流れとその時々の思い考え2(ドミ滞在序盤〜中盤)


前回の記事
エボラ退避の流れとその時々の思い考え1(疑い発生〜コトヌー退避)


8月8日〜 コトヌー隊員連絡所(通称ドミ)宿泊開始。日本人の気遣いに戸惑う、滞在序盤。

様々な思いを抱えながら、タクシーを降り、ドミの扉をあける。他の隊員10名ほどがすでに到着していた。初めて会う新隊員や見慣れた顔もそこにはあったが、それぞれが違った心持でいるようだ。すぐに任地に戻れるだろうと楽観的に考えている者、みんなのために料理をしている者、ちゃんと配属の日を迎えられるのだろうかと心配する新隊員や仲間と談笑している者もいる。最悪の帰国も考えて上がってきた者は少ないようである。

間もなく、JICAから状況説明を受け、当面の措置として不要不急の外出は禁じられた。ナイジェリアのエボラがどこまで感染拡大しているか全く分からない状況下において、隊員の感染リスクを最大限抑えるためのこのJICAの措置は適切である。エボラの感染経路を考えると、ドミ生活での感染リスクはゼロに近い。

自分自身の感染の危険性が低いとなると、残る不安は、感染がベナン国内にも拡大することによる国外退避である。そこで咄嗟に、ベナン人のエボラ感染も不安だ、と付け足してみるが、これはそう考えるべきだと考えた結果として言っているだけで、きっと俺の本心ではない。


ドミでの共同生活が始まる。早いようで遅いようなテンポで一日一日が進んでいく。


これまでベナン人の中で生活していたから、正直言って、久々の日本社会には戸惑いを隠せない。みんなすごく人が良くて、他人のために働けて、気が遣える人ばかり。女性が多いのも影響しているかもしれない。とにかく、みんながみんなにすごく気を遣い合っている印象を受ける。きっと、日本人にとっては当たり前の気遣いなんだろうけど、ベナン社会で生活してからこれに触れると「みんな気を遣い過ぎていないか?」と思ってしまう。気を遣われるとこっちも同じレベルで気遣いをしなきゃいけないのかなという気がしてくる。もっと図々しい人が多いくらいの方が気持ちは楽かもしれないな。

ベナンの人たちは、良い意味で図々しく、人に頼るのが上手。対等な関係であれば、言いたいことは言えるし、笑ったり怒ったりの感情表現もうまく、ネチっこさがない。気を遣うことは上手ではないが、その分、楽に、ストレスが少ない人間関係を気付いているような気がする。ドミの様子をみていると、日本人は、みんなが気持ちよくストレスなく生活できるように気を遣い合っているが、そのせいで気を遣わなくてはいけない環境を生み出し、かえってストレスを感じる生活を送っているように思える。


8月11日(月)〜 ドミでの生活、現場から離れていく感覚、そして自分を見つめ直す滞在中盤。

ポルトノボで死亡した患者がエボラ陰性であったことが判明した。これにより、ベナンには一件もエボラの例が出ていないことになり、少し安心する。ドミ滞在は31日まで、とされた。外出できる範囲が少し広まった。


大都市コトヌーの一等地に位置するドミとその周辺は、全く異世界であった。ドミでは、明るい電気がこうこうと光り、機械が服を洗濯し、自由にインターネットが出来て、日本語が聞こえる。街の人々の着ている服や振る舞い、人と人との距離感も違う。サケテでは道端で簡単に買えるような生活物資が見つからず、小腹が空いたらスーパーで綺麗に包装された、どこで作られたかわからないようなビスケットを食べ、一回の食事で普段の何十倍のお金を支払う。フランス語を話すことも少なく、ましてやナゴ語を話す機会もほとんどない。一日過ぎるごとに、せっかく近づいていたサケテの人々の生活から離れていく感覚を抱く。現場から離れていく…

こうした不安の一方で、一日中ドミにいなくてはいけない状況は、普段出来ないことをする良い機会でもあるのでは、とも思い始めた。ドミには前の隊員が残していったたくさんの本やDVDがあるし、あまり話したことがない他の隊員とも話が出来る環境だ。また、これまでベナン人相手にやってきた、もしくは、やろうとしてきたコミュニケーション(具体的には、話しをよく聞くだとか、相手の目線に立って物事を捉えてみるだとか)を日本人相手に試す機会としてはもってこいの機会でもある。

また、自分自身と向き合う機会とも言える。これまでのベナンでの生活や活動を振り返り、今後の生活活動をどう展開していくかについて考える時間がある。もっと根本的に、つまり要請とか配属先とか関係なく、ベナンで何がしたくて、ベナンのどんなところを見たいのか。もっと言えば、そもそも自分の大切にしている価値観とは何か、どういう人生を歩んでいきたいのか。これらのことをゆっくり見つめ直すのに、ドミ生活はとても良い機会なのでは?
posted by 木村だっくす at 09:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月04日

エボラ退避の流れとその時々の思い考え1(疑い発生〜コトヌー退避)

8月7日(木)首都ポルトノボでエボラ疑い例1件発生。退避を恐れる。

7月25日にナイジェリアでエボラ出血熱による死者が出てから、数日後のこの日、ベナンにもエボラ疑いが出たとの情報がラジオとJICAベナン支所から流れてきた。

ナイジェリアでエボラ患者が出た先月末から悪い予感はしていたが、とうとうベナンにも来たか。この疑い例がエボラであるならば、瞬く間にベナン中に広まっていくだろう。感染が拡大すればコトヌー退避、最悪の場合には国外退避もありえる。それは嫌だ。まだ日本には帰りたくない。3カ月前に活動の方向転換をしてようやく楽しくなりだしたところだった。今帰ったら何もかも中途半端だ。でも、それも時間の問題な気がする。

エボラ出血熱は、発症患者の体液に触れることによって感染する。これまでの西アフリカ西端三国でのエボラ感染拡大は、家族の看病や医療従事者の治療、死体を手で洗う慣習によって広まったと言われている。ベナンの社会において、家族が患者の世話をしないことは考えられないし、病院でも感染を防ぐ防護服が用意されているとも思えない。それに防護服があっても、それをちゃんと使わないだろうな。エボラがベナンに入ったら終わりだ。

もう一つの不安なのは、ガセネタのエボラ予防策が出回っていることだ。ラジオがポルトノボでの疑い例を伝えたこの日、住民がエボラに関してどういう情報を持っているかを聞いて回った。すると、沸かした水に塩と玉ねぎを入れて飲むだとか、それで身体を洗うことでエボラを防ぐことが出来る、と言うようなことをほぼ全ての住民が口にした。昨日までは「エボラって何?食べれるの?」状態だったのに、一日で町中に「情報」が出回っていて、みんなその日の朝に玉ねぎ塩水を飲んだり、それで身体を洗ったりしたようだ。今自分が持っている情報によると、玉ねぎでエボラは防げないはずだから、この「予防策」を本気で信じている人たちの間に広がる危険性はあるなと思う。

いずれにせよ、まだ日本に帰りたくない。サケテに残っていたい。



8月8日(金)ポルトノボの疑い患者が死亡したとの情報。コトヌーに退避するようJICAから命令を受けた。

昼過ぎだったか。携帯の着信を示す画面にJICAの文字を見て、「まさか」と思った。疑い例が出た時点で覚悟はしていたものの、実際に離れなきゃいけなくなると嫌だ嫌だと駄々をこねたくなる気持ちだ。急いでタクシーを手配し、関係の近い人達のほんの一部にコトヌーに行かなくてはいけないこととその理由を伝え、国外退避も考えて日本に持って帰りたいものをすべてバックパックに詰めて、サケテのもう一人の協力隊員とともに借り上げたタクシーに乗り込む。挨拶出来なかった数人に電話でコトヌーに上がること、いつ戻ってこられるかわからないこと、最悪の場合帰国もありえることなどを伝える。

少しずつサケテから離れていくタクシーからの景色を眺めていると、今までのいろんな思い出がフラッシュバックしてきた。サケテの街並みや人々の生活の様子、子どもたちの可愛い笑顔や若者たちとの腹立たしい関わり、どこに行っても「アラデ!」「ショウタ!」と呼んでくれるサケテの人たち。それまで嬉しかったことも嫌だったことも全て愛おしく思えた。離れるときになって気がついた。俺はサケテが好きなんだ。

ポルトノボに近づくにつれ見える景色も変わってくる。穴だらけの舗装道路、やかましく走り回るゼミジャン、それにまたがる大きな女性、排気ガス、車体スレスレの追い越し、床屋に描かれるバランスのおかしい似顔絵、DIEU EST GRAND(神は偉大なり)という名前のカフェやトラックのナンバープレート。コトヌー上京時にはいつも見ている景色なのに、この時はいつもとは少し違って見える。この環境にいられることは幸せなんだな。まだ日本には帰りたくない。早くサケテに帰りたい。

そこでふと気がつく。俺は自分のことしか考えていないのでは…?死の危険の高いエボラがベナンのすぐ近くまで来て、ベナンの人たちの生命も脅かす可能性があるというのに、俺は「日本に帰りたくない」「サケテに残りたい」なんて自分のことばかり考えている。サケテの人たちがエボラ感染してしまわないかの心配より自分のことばっかり考えている。
結局俺は自己中心的なのか。
posted by 木村だっくす at 06:08| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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