2015年05月20日

Sへの手紙

2015年4月21日(火)

親愛なるSへ

元気ですか?Kヶ根での生活や仕事はどう?
君の手紙(2014年3月30日付)の手紙を受け取ってからだいぶ時間が経ってしまった。ペンを取るまでにこれだけの時間がかかってしまってごめんなさい。この間、ずっと君に手紙を書こうと思っていたのだけど、どうしてもそこまで至らなかった。きっと、君にフランス語の添削をされるのが怖かったんだと思う!でも、君のことを忘れたことは一度たりともない、それどころかしょっちゅう思い出しているくらいだよ。
僕が日本を発ってから今日まで、実にたくさんの日本人ボランティアがベナンにやって来た。君は覚えているかな、例えばH254のRやH262のNとか。ベナンに来る前からみんな僕のことを知っていて、いつも驚かされる。聞くと、君が僕のことを話していると言っていたよ。僕のことをそんなに気に入ってくれているみたいで、ありがとう!とっても嬉しいよ!


さて、ここでの生活についてちょっと書こうと思う。アフリカでの生活、正確にはベナンの僕の村での生活は僕にとって、とても魅力的。僕はアフリカ人が好きだし、彼らの文化も彼らの生き方もみんな好き。すごく素敵だと思っている。(もちろん常に幸せというわけではないけどね。外国人でいることの大変さは君も良く知っているだろう?)

今、僕は、まるで人類学者にでもなったかのように村に住み込んで生活して、人々の生活を観察しているよ。電気なし、水道なしの村。JICAから頼まれた仕事は、現地社会に必要なことだとは僕にはどうしても思えなかったから随分前にやめちゃった。

僕のいる村はベナンの南東、ナイジェリア国境の市にあるから、ここの人たちはナイジェリアとベナンを日常的に行き来している。だから中には英語を話す人も結構いたりする。仏語圏のベナンに来て、こんなに英語を話すことになるとは全然予想してなかった!とはいえ、村の大部分の人が話すのは現地語なんだけどね。村人は基本、ナゴ族と呼ばれるヨルバ族系の民族で、話す言葉はナゴ語と呼ばれる言葉。だいたい、村人の70%は現地語だけしか話さなくて、15%が仏語とナゴ語、10%が英語とナゴ語、5%がナゴ語、仏語、英語を話せるかな。でも村にとってはやはりナゴ語が一番大事な言語だから、僕はいま村人たちとコミュニケーションをとりながら必死にナゴ語を習得しようとしているところ。現地語を理解しない限り、どうしても彼らの生活、価値観を深くまで理解できないと僕は思うんだ。ここで生活していると、いつも思うことがある。それは「言語と文化を切り離す事は出来ない」ということ。村でいろいろと話をしていると、ナゴ語しか話さない人と他の外国語も話す人の間に、考え方の違いのようなものがあることに気がついた。外国語が話せるような人々は、僕との間でなんとなく話しの土台を共有している気がして、そういう人とは話すのがより簡単なんだ。決して言語能力の問題だけの話じゃない。きっと、フランス語や英語に内包している西欧的価値観がその土台になっているんじゃないかなって思う。僕は、話す言語は、その人の考え方や価値観に大きな影響を持っていると考えている。そして、それが正しいとすると、本当のアフリカの精神というのは、現地語しか話さないような人に強く宿っているんじゃないかと思うんだ。だから僕は、本当のアフリカの生活、価値観をもっとよく理解するために、現地語の習得に勤しんでいるというわけ。君は、語学講師として、このことについてどう考える?


この他に、生活の中で僕がよく抱く考えは、「生き方を変えるべきなのは、彼ら(“発展途上国”の人々)でなく、私たち(“先進国”の人々)ではないだろうか」ということ。僕たちボランティアのような外国人は、人々を「助け」、生活を「改善」するために、アフリカの国にしょっちゅう来る。国を「発展」させるために、「豊か」にするために。アフリカ人政治家たちもかなり西欧化されてしまっているから、彼らも同じ目的に向けた努力を惜しまない。(もしかしたら、彼らは開発を進めることで彼ら自身に利益があるからしているだけかもしれないけど。)例えば、ベナンの現大統領のヤイボニの政党、「Forces Cauris pour un Bénin Emergent : FCBE(新興国ベナンを目指す宝貝勢力)」って名前なんだ。宝貝は、知っての通り、以前、貨幣として使われていた貝殻。つまりお金とか経済の隠喩。なんだか、みんな、開発や経済成長と言う名の理想郷を夢見すぎている気がするよ。これはあくまで個人的にだけど、僕にはね、メインストリームの、「開発」に向けた外国からの援助とアフリカ自身の努力は、欺瞞と幻想に溢れているように思われてならないんだ。

はたして、“先進国”日本は、“途上国”ベナンより「優れて」いるのだろうか?毎年三万人の自殺者がいて、過労死があり、汚染物質を垂れ流す原子力発電所があり、オリンピックの背後で野宿者の強制排除が行われているのに?たしかに、物質的には日本は豊かかもしれない。しかし、人々は本当に幸せを感じているだろうか?物質が人々を支配してしまっていないだろうか ?国内の格差はどんどん拡がって、富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなっている。もう一度問いたい。はたして、日本はベナンより「優れて」いるのだろうか?僕はこの点を疑っているんだ。確かにベナンには、とてつもなく高いタワーはないし、「クールな」科学技術もなければ、巨大スーパーマーケットもない。でも、その分、無意味な過剰消費もないし、社会的不公平もないし、貧しい国の搾取もない。いまは誰もが経済成長を望むけど、僕はこの点を疑いたい。人々が血眼になって答えを探すべき問いは、「いかにして金を稼ぐか」ではないと思う。そうではなくて、本当に重要な問いは、「いかにして開発と経済成長の欺瞞と幻想から人々を解放するか」にあると思うんだ。そして、この問いを突き付けられているのは、決してアフリカの人たちではない。問いを突き付けられ、そして生き方の変化が迫られているのは、私たち“先進国”の人間の方であると僕は確信を持って言いたい。アフリカの人たちではない。“先進国”の私たちの生き方にこそ変化が迫られているのではないか!Sは、間接的に「開発」に関わる立場として、このことについて、どういう考えを持っているのかな。Kヶ根にいた時は、僕自身、こんな考えを持っていなかったから、君とこういう話題について話し合うことは無かったね。いまは、君がどんな気持ちで仕事をしていて、どんな気持ちでボランティアを送りだしているのか、すごく興味深く思っているよ。今度、じっくり話聞きたいな。


なんだか長々と書きすぎてしまったみたい。他にもここで感じていること、思っていることはたくさんあるけど、紙幅の都合もあるし、今日はここらへんでやめようと思う。日本で会った時に、もっと深く議論出来たらいいなぁ。出来れば他のみんな(OやY、M、Sたち)も交えてさ。それじゃ、健康には気をつけて、旦那さんとも末長くお幸せに。
posted by 木村だっくす at 23:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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