2013年12月07日

「エイボ!」に苛立つ

ナゴ語では、黒人以外のことを「エイボ」という。「白人」という意味だ。

シャイとは程遠いここの住民は、僕を見つけるや否や、「エイボ!」と声をかけてくる。老若男女問わず、である。

なかでも子どもは、エイボに大変興味があるらしく、見つけると遠くからでも大声で叫ぶ子どももいる。こちらの反応が返ってくるまで永遠と「エイボ!」「エイボ!」と繰り返す子どもも少なくない。

この街には、僕の他にエイボはほとんどいない。先日、糖尿病の対策で来ているというフランス人二人に会ったが、彼ら以外にはエイボに見かけていない。実際、彼らとも一度しか会ったことないし、街を歩いていても見かけないので、僕の生きている世界ではエイボは僕一人である。

身体の構造上、鏡を介さずに自分で自分のことを見ることが出来ないので、僕の視界に入るのは黒人(オニヤドゥドゥ)だけである。この景色に慣れてくると、ありえないと思うかもしれないが、自分も黒人になった気分、この社会にすっかり馴染んでいるのではないかという錯覚を起こす。

しかし、実際のところ、まったくなじんでいない。以前「肌の色の違いが目立つ」と書いたように、肌の色の違いは非常に目立つ。何カ月滞在しようがそれは関係なく、黒人のなかに「白人」は全く溶け込まない。

そうなるとサケテ「唯一」(自分の目では他のエイボを見ないから、この際「唯一」と言わせていただきたい)の「白人」の僕は、一挙手一投足が注目されることになる。紅一点ならぬ白一点である。歩けば、エイボエイボと声をかけられ、買い物しても人が寄ってくるし、学校にいけば子どもたちは興奮して大変な騒ぎである。

サケテに来た当初は、こうして「エイボ、エイボ」と話しかけられることも、「あぁ、なんだかいいものだなぁ」と思っていたが、時間が経つとそうした感情にも変化が出てくる。

最近は、子どもが止むことなくエイボエイボと話しかけてくることに苛立ちを覚えるようになってきた。誤解がないように言うと、その時の気分によっては苛立つことも出てきた。

僕は気分屋だから感情の波が非常に激しい。上がっている時は誰とでも仲良く話せる気分になるが、逆に下がっているときは周囲を完全にシャットアウトして自分の殻に閉じこもりたい。

しかし、「白一点」のサケテ社会において、唯一の「白人」の僕が周囲をシャットアウトできるはずはなく、こちらの機嫌にはお構いなくエイボ!エイボ!と話しかけてくるのである。

一応、「今は機嫌悪いモードなので話しかけないでね」と顔に書きはしないものの、そういうオーラを出して「近づかないでくださいね」というメッセージは出すのだが、受け取る人は一人としていない。容赦なく「エイボ!」「エイボ!」である。

僕の苛立ちがもっともピークに達するのはこういう時である。きっと、この時、不快を示す脳内のなんとか波は一気に放出されていることと思う。正直言って、子どもたちを蹴り飛ばしたくなる。



ベナンでの生活は、現在2カ月が経過したところである。すべてが素晴らしく見える最初の期間を超え、現在は嫌なところにも気付き始めている時期なのだろう。

今はこのように自分の苛立ちの原因を分析してなんとか苛立ちを抑えようとしている。

しかし、苛立つ自分の心の狭さにも苛立ちを覚えるため、何か苛立ちそのものの原因を除去する良い手段はないものだろうか。

「エイボ」というのは、実は「かっこいい」という意味だと解釈をして、街中いたるところで「かっこいい!かっこいい!」と言われていると思えば良いんだ、と思って現在実行中であるが今のところ効果はなさそうである。

なにかいいアイディアがあったら教えていただきたい。

そんなこんなの苛立ちの記録。記念に残しておこう。


お読みいただきありがとうございました。
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posted by 木村だっくす at 08:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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