2014年09月06日

エボラ退避の流れとその時々の思い考え2(ドミ滞在序盤〜中盤)


前回の記事
エボラ退避の流れとその時々の思い考え1(疑い発生〜コトヌー退避)


8月8日〜 コトヌー隊員連絡所(通称ドミ)宿泊開始。日本人の気遣いに戸惑う、滞在序盤。

様々な思いを抱えながら、タクシーを降り、ドミの扉をあける。他の隊員10名ほどがすでに到着していた。初めて会う新隊員や見慣れた顔もそこにはあったが、それぞれが違った心持でいるようだ。すぐに任地に戻れるだろうと楽観的に考えている者、みんなのために料理をしている者、ちゃんと配属の日を迎えられるのだろうかと心配する新隊員や仲間と談笑している者もいる。最悪の帰国も考えて上がってきた者は少ないようである。

間もなく、JICAから状況説明を受け、当面の措置として不要不急の外出は禁じられた。ナイジェリアのエボラがどこまで感染拡大しているか全く分からない状況下において、隊員の感染リスクを最大限抑えるためのこのJICAの措置は適切である。エボラの感染経路を考えると、ドミ生活での感染リスクはゼロに近い。

自分自身の感染の危険性が低いとなると、残る不安は、感染がベナン国内にも拡大することによる国外退避である。そこで咄嗟に、ベナン人のエボラ感染も不安だ、と付け足してみるが、これはそう考えるべきだと考えた結果として言っているだけで、きっと俺の本心ではない。


ドミでの共同生活が始まる。早いようで遅いようなテンポで一日一日が進んでいく。


これまでベナン人の中で生活していたから、正直言って、久々の日本社会には戸惑いを隠せない。みんなすごく人が良くて、他人のために働けて、気が遣える人ばかり。女性が多いのも影響しているかもしれない。とにかく、みんながみんなにすごく気を遣い合っている印象を受ける。きっと、日本人にとっては当たり前の気遣いなんだろうけど、ベナン社会で生活してからこれに触れると「みんな気を遣い過ぎていないか?」と思ってしまう。気を遣われるとこっちも同じレベルで気遣いをしなきゃいけないのかなという気がしてくる。もっと図々しい人が多いくらいの方が気持ちは楽かもしれないな。

ベナンの人たちは、良い意味で図々しく、人に頼るのが上手。対等な関係であれば、言いたいことは言えるし、笑ったり怒ったりの感情表現もうまく、ネチっこさがない。気を遣うことは上手ではないが、その分、楽に、ストレスが少ない人間関係を気付いているような気がする。ドミの様子をみていると、日本人は、みんなが気持ちよくストレスなく生活できるように気を遣い合っているが、そのせいで気を遣わなくてはいけない環境を生み出し、かえってストレスを感じる生活を送っているように思える。


8月11日(月)〜 ドミでの生活、現場から離れていく感覚、そして自分を見つめ直す滞在中盤。

ポルトノボで死亡した患者がエボラ陰性であったことが判明した。これにより、ベナンには一件もエボラの例が出ていないことになり、少し安心する。ドミ滞在は31日まで、とされた。外出できる範囲が少し広まった。


大都市コトヌーの一等地に位置するドミとその周辺は、全く異世界であった。ドミでは、明るい電気がこうこうと光り、機械が服を洗濯し、自由にインターネットが出来て、日本語が聞こえる。街の人々の着ている服や振る舞い、人と人との距離感も違う。サケテでは道端で簡単に買えるような生活物資が見つからず、小腹が空いたらスーパーで綺麗に包装された、どこで作られたかわからないようなビスケットを食べ、一回の食事で普段の何十倍のお金を支払う。フランス語を話すことも少なく、ましてやナゴ語を話す機会もほとんどない。一日過ぎるごとに、せっかく近づいていたサケテの人々の生活から離れていく感覚を抱く。現場から離れていく…

こうした不安の一方で、一日中ドミにいなくてはいけない状況は、普段出来ないことをする良い機会でもあるのでは、とも思い始めた。ドミには前の隊員が残していったたくさんの本やDVDがあるし、あまり話したことがない他の隊員とも話が出来る環境だ。また、これまでベナン人相手にやってきた、もしくは、やろうとしてきたコミュニケーション(具体的には、話しをよく聞くだとか、相手の目線に立って物事を捉えてみるだとか)を日本人相手に試す機会としてはもってこいの機会でもある。

また、自分自身と向き合う機会とも言える。これまでのベナンでの生活や活動を振り返り、今後の生活活動をどう展開していくかについて考える時間がある。もっと根本的に、つまり要請とか配属先とか関係なく、ベナンで何がしたくて、ベナンのどんなところを見たいのか。もっと言えば、そもそも自分の大切にしている価値観とは何か、どういう人生を歩んでいきたいのか。これらのことをゆっくり見つめ直すのに、ドミ生活はとても良い機会なのでは?
posted by 木村だっくす at 09:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月04日

エボラ退避の流れとその時々の思い考え1(疑い発生〜コトヌー退避)

8月7日(木)首都ポルトノボでエボラ疑い例1件発生。退避を恐れる。

7月25日にナイジェリアでエボラ出血熱による死者が出てから、数日後のこの日、ベナンにもエボラ疑いが出たとの情報がラジオとJICAベナン支所から流れてきた。

ナイジェリアでエボラ患者が出た先月末から悪い予感はしていたが、とうとうベナンにも来たか。この疑い例がエボラであるならば、瞬く間にベナン中に広まっていくだろう。感染が拡大すればコトヌー退避、最悪の場合には国外退避もありえる。それは嫌だ。まだ日本には帰りたくない。3カ月前に活動の方向転換をしてようやく楽しくなりだしたところだった。今帰ったら何もかも中途半端だ。でも、それも時間の問題な気がする。

エボラ出血熱は、発症患者の体液に触れることによって感染する。これまでの西アフリカ西端三国でのエボラ感染拡大は、家族の看病や医療従事者の治療、死体を手で洗う慣習によって広まったと言われている。ベナンの社会において、家族が患者の世話をしないことは考えられないし、病院でも感染を防ぐ防護服が用意されているとも思えない。それに防護服があっても、それをちゃんと使わないだろうな。エボラがベナンに入ったら終わりだ。

もう一つの不安なのは、ガセネタのエボラ予防策が出回っていることだ。ラジオがポルトノボでの疑い例を伝えたこの日、住民がエボラに関してどういう情報を持っているかを聞いて回った。すると、沸かした水に塩と玉ねぎを入れて飲むだとか、それで身体を洗うことでエボラを防ぐことが出来る、と言うようなことをほぼ全ての住民が口にした。昨日までは「エボラって何?食べれるの?」状態だったのに、一日で町中に「情報」が出回っていて、みんなその日の朝に玉ねぎ塩水を飲んだり、それで身体を洗ったりしたようだ。今自分が持っている情報によると、玉ねぎでエボラは防げないはずだから、この「予防策」を本気で信じている人たちの間に広がる危険性はあるなと思う。

いずれにせよ、まだ日本に帰りたくない。サケテに残っていたい。



8月8日(金)ポルトノボの疑い患者が死亡したとの情報。コトヌーに退避するようJICAから命令を受けた。

昼過ぎだったか。携帯の着信を示す画面にJICAの文字を見て、「まさか」と思った。疑い例が出た時点で覚悟はしていたものの、実際に離れなきゃいけなくなると嫌だ嫌だと駄々をこねたくなる気持ちだ。急いでタクシーを手配し、関係の近い人達のほんの一部にコトヌーに行かなくてはいけないこととその理由を伝え、国外退避も考えて日本に持って帰りたいものをすべてバックパックに詰めて、サケテのもう一人の協力隊員とともに借り上げたタクシーに乗り込む。挨拶出来なかった数人に電話でコトヌーに上がること、いつ戻ってこられるかわからないこと、最悪の場合帰国もありえることなどを伝える。

少しずつサケテから離れていくタクシーからの景色を眺めていると、今までのいろんな思い出がフラッシュバックしてきた。サケテの街並みや人々の生活の様子、子どもたちの可愛い笑顔や若者たちとの腹立たしい関わり、どこに行っても「アラデ!」「ショウタ!」と呼んでくれるサケテの人たち。それまで嬉しかったことも嫌だったことも全て愛おしく思えた。離れるときになって気がついた。俺はサケテが好きなんだ。

ポルトノボに近づくにつれ見える景色も変わってくる。穴だらけの舗装道路、やかましく走り回るゼミジャン、それにまたがる大きな女性、排気ガス、車体スレスレの追い越し、床屋に描かれるバランスのおかしい似顔絵、DIEU EST GRAND(神は偉大なり)という名前のカフェやトラックのナンバープレート。コトヌー上京時にはいつも見ている景色なのに、この時はいつもとは少し違って見える。この環境にいられることは幸せなんだな。まだ日本には帰りたくない。早くサケテに帰りたい。

そこでふと気がつく。俺は自分のことしか考えていないのでは…?死の危険の高いエボラがベナンのすぐ近くまで来て、ベナンの人たちの生命も脅かす可能性があるというのに、俺は「日本に帰りたくない」「サケテに残りたい」なんて自分のことばかり考えている。サケテの人たちがエボラ感染してしまわないかの心配より自分のことばっかり考えている。
結局俺は自己中心的なのか。
posted by 木村だっくす at 06:08| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月14日

本当に死んだのか?

死とは何か。
先日、ヤギ2頭の屠殺を見た。ラマダン(断食)明けの祝いのために家で屠殺をした。喉笛をかき切り、血を出し殺す。身体に空気を入れて、毛を剃り、内臓を取り出し、肉を切る。これといった苦労はなく、ヤギは死んでいく。一頭目のヤギを処理している間、二頭目のヤギはまだ生きていて、一頭目の隣でそれまでと変わらぬ様子で佇んでいた。

屠殺の一連の様子を見て、「いのちの大切さを知りました。」
というありきたりな感想は一切抱かなかった。

代わりに私が抱いたのは、「ヤギは本当に死んだのか?」という疑問であった。

不思議なことに、私には、死んだヤギがほんの数分前まで隣で佇んでいるヤギと同じように生命を宿していたという事実が信じられなかった。同じ個体であるはずなのに、生命を失う前と後で、全く別の存在であるかのように思えたのだ。
死んだヤギからは表情が消え、動きが消え、そして生命が生き物に与えている「何か」が完全に欠けていた。生命を失ったヤギは、もはやヤギとして存在を維持することができず、ヤギの外見を保持したまま肉片と化した。生命を宿していた頃のヤギとの関係は一切断ち切られている。生命を失ったヤギは、「生命を失った」というよりも、元々生命というものを持ちあわせていなかったかのようである。私の前で、ヤギの生と死は完全に断絶しており、両者は重なることも、同一線上に続いてもいなかった。

眼前に横たわる肉片は本当に生命を宿していたのか?
ヤギは本当に死んだのか?


私はこの疑問を抱いた時、ある知人を思い出した。彼はよく行っていた村の長老で、片足がなかった。数年前の交通事故で大怪我をし、切断したのだと言う。彼は、村の入り口に住んでいたため、訪問の度に挨拶する人で、この地域の伝統的なゲームが伝説的に強かった。先日(ヤギの屠殺の一週間ほど前だったか)、久々にその村に訪問すると、その長老が亡くなったと聞いた。突然のことで驚いたが、驚きの次に私が感じたのは、ヤギの屠殺で感じた疑問と同じものであった。

彼は本当に死んだのか?

確かに、頭では彼が亡くなったことを頭では認識している。しかし、それまで動いていたもの、私と関わりを持っていたものが、突然動きを止め、関わることをやめたという現実を感覚レベルで実感出来ないでいる。あの笑顔が素敵な長老と表情の一切を失った遺体との間に、関係があるとは思えなかったのである。彼は死んだのではなく、この世のどこか、私たちの見えないどこかに隠れているだけなのではないか。彼の生は、いまもどこかで続いていて、彼の遺体とともに提示された死は、彼の生とは全く関係のない新たな現象のように思えた。

彼は本当に死んだのか?この死は彼のものなのか?
posted by 木村だっくす at 08:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月26日

お前は誰のために国際協力をしているのか。

お前は誰のために国際協力をしているのか。
ミレニアム開発目標(MDGs)?
万人のための教育(EFA)?

それとも、日本のため?
活動を支えてくれている日本の納税者?
活動を日本から応援してくれている家族、友人、恋人?

あるいは、JICAのため?
ベナンにおいて、開発の世界において、JICAのプレゼンスを高めるため?
要望調査票(要請)のため?
担当調整員のため?

または自分のため?
キャリアのため?
人から認めてもらうため?

はたまた、ベナン共和国(任国)?
ベナン政府(任国政府)?
配属先(教育省地方組織)?

もしくは…現場の住民?


われわれ(開発関係者)の役割は、最終的な裨益者に貢献することなのだから、「現場の住民」が当然答えになるべきである。特に、現場のフィールドワーカーの自分の立場では、住民が答えにならないなら、やっている意味も資格もない。

言葉の上では、概念の上では、このようなことは理解している。そうだろう?
しかし、はたしてお前は本当にそれが出来ているか?

住民のためといいながら、実際は自分を満足させるため、自分の存在意義を見出すための活動になっていないか。
自分のキャリアにプラスになるように、企業での就職活動の面接で話せるように、開発専門家になるための履歴書に書くための活動になっていないか。
配属先の同僚、上司のため、配属先の成果のために活動をしていないか。
もしくは、コトヌーから活動を見守るJICA事務所関係者(調整員、所長等)、日本の人たちに「魅せる」ための活動になっていないか。


現場で実感すること
一人の人間、生活のある人間として、完全に無私な姿勢で国際協力をするというのは難しい、というのは現場に来てから実感する。将来どう食べていくか、どうやって家族を養うかを考えると、ちゃんとした職につけるように、職に結び付くような活動をすべきでないかという考えも浮かぶこともある。

自分の他にも、「開発」には、多様なアクター(stakeholder)が関わっているということは現場で実感する。冒頭に挙げたアクターあるいは目標は、大小の違いはあれど、どれも自分の活動に関わっている。そして、これらのアクターや目標は、一見同じ方向を向いているように見えて、実際はそれぞれの利害のために動いていて、十把一絡げに捉えることは出来ない。配属先と事務所の意向が違う場合もあるし、事務所内でも自分の活動に理解を示してくれる人、くれない人がいる。現場レベルでも配属先の視学官事務所と市役所、住民のそれぞれが異なった意見を持っていることもある。多様なアクターの中にいて、程度の差こそあれ、活動にあれこれ注文をつけられることや、批判・批評をされることも少なくない。

また、現場で感じるのは、楽しいことばかりではない。苦しいことや悩むことも多い。住民のため、とは分かっていても自分とは何もかもが違う住民との関係に疲れたり、苛立ったりすることもある。自分の存在意義がわからなくなることもしょっちゅうある。

自問自答
自分をかわいがることなく、自分に厳しく、住民と真摯に向き合う、その覚悟がお前には出来ているのか?様々なアクターから出される注文や批判、批評を気にすることなく、住民のために活動を捧げる覚悟が出来ているか?その覚悟を実行に移す決断力、行動力を持っているか?行動を起こしたことに自己満足せず、見落としているもの、取り落としているもの、欠けているものを見つけようとしているか?

理想論として「誰を向いて活動すべきか」、
そして、
現実問題として「誰を向いて活動をしているか」。
お前は誰のために国際協力をしているのか?
本気でやるための、自問自答。
posted by 木村だっくす at 15:17| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月26日

任国外旅行の行き先は○○○に決めた。

協力隊の2年間の派遣期間中、自分の任国(ベナン)以外の国に旅行に行ける制度がある。年間20日分、2年間で最大40日分任国外旅行に使えることになっている。

旅費は、一応本人持ちということになっているが、聞くところ普段の生活で浪費していない限り支給される手当の範囲内で旅行にも行けるようである。

旅行先であるが、任国以外のどの国でもいけるかというと、そうではなくて任国によって行ける国が異なっている。ベナンの場合は、セネガル、ブルキナファソ、ガーナ、ガボン、モロッコ、そして日本に行くことが出来る。

これらの国々、どの国も行ってみたくて悩んでしまう。

セネガル、ガーナは西アフリカでは比較的発展している国。ベナンとの違いを見て驚き、ベナンに戻ってからも新たな視点でベナンのことを見れるだろうと期待が持てる。セネガルでは同じ旧フランス植民地の間の差を、ガーナでは旧仏領と旧英領の発展の差を見ることができたら興味深い。

内陸国のブルキナ、中央アフリカのガボンは、おそらくこうした機会でないと行かないような国だからすごく行きたい。気候の違いや人々の生活の仕方の違いなどに着目してみたい。

モロッコは一度行ったことがあるが、フランス語が話せるようなった今行ったらきっともっと面白いだろうなと思うし、旅先で出会った人たちと再会を果たしたい気持ちもある。

日本。会いたい人が山のようにいるし、行きたいお店も、食べたい料理もたくさんあって、行けば大満足の旅行になることは間違いない。一度、日本に戻ることで、気持ちをリフレッシュさせ、より前向きに活動を展開できるようになるだろうと思う。


僕にとっては、これらのどの国も魅力的で、ベナンに来てからというもの「任国外旅行どこ行く?」という会話になるたびに返答に困っていた。

が、最近、ようやく決心が固まった。もう誰が何と言おうと、ここに行こう、というのが決まった。僕は決めた。



任国外旅行の行き先はベナンに決めた。

任国外旅行に使えますよ、と割り当てられた20日×2=40日間は、任国ベナンの任地サケテで過ごすことにした。もっと正確には、サケテにある村で過ごすことにした。

理由はいくつかあるが、要約すると任地サケテの村のことをもっと知りたいと思ったから。村人たちともっと一緒にいたいと思ったから。

20日間で外国の表面的な部分をちら見するよりも、自分の任地にある村の村人たちともっと深く関わって彼らの生活の深いところを見る方が今の僕には魅力的。

今のところ、候補の村が3つ。最近足を運び始めたHoume(フンメ)、水問題が深刻なIgbo-Egan(イボエガン)、ナイジェリア国境の村Apechi(アペシ)。

どこにするにしても、比較的長い期間(1〜2週間)村に泊まり込み、村人たちと生活する予定。

これらの村は、いずれも最近足を運び始めたところなので、まだまだ信頼関係を築いている段階。もっと関わって行って、自分の存在が「あたりまえ」に近くなったら泊まり込みを始めようかなと思っている。学校が長期休暇に入っている8月9月にできたらいいな。


この決断に迷いはない。
任国外旅行だけじゃなくて、ベナン国内旅行すらしない可能性が高くなってきた。それほど、いま僕は、村と深く関わりたい気持ちがある。

村で僕に何が出来るのだろうと悩みに悩んでもいまは何も考え付かないけど、とりあえず現地の人たちの目線に立つこと。しばらくは、それに徹したいと思う。
タグ:サケテ
posted by 木村だっくす at 08:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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